The Irish Hunger Memorial アイルランド飢餓メモリアル

1845年から1852年にアイルランドを襲った大飢饉の悲劇を伝えるメモリアル。この大飢餓は、ヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、枯死したことで起こった。アイルランドでの主要食物ではジャガイモであったため、150万人の人が飢えて死なり、多くの国民がアメリカに渡り、アイルランド民族は離散していった。さらに、婚姻や出産までもが激減し、最終的にはアイルランドの総人口は最盛期の半分にまで落ち込んでしまったという。民族文化にも壊滅的な打撃を与え、世界史上最悪の大飢饉の一つとなった。

バッテリーパークの道路から眺めるとメモリアルらしいものは見当たらない。植栽の中を人びとが散策している姿が見えるだけだ。しかし反対側に足を運ぶと、コンクリートのキューブの上に植物で飾りつけられた帽子のような姿が現れる。これが『アイリッシュ・ハンガー・メモリアル』(高さ7.6m)だとわかるものの、まだその全容は見えてこない。

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アイリッシュ・ライムストーン(石灰石)に覆われたトンネル状の薄暗い入口。バックライトにより照らされた光のストライプがメモリアルの先へと導いてくれる。周辺から聞こえてくる男性・女性の声が静かに低くこだまするようにエントランスに響き渡る。あたかも飢餓当時の暗い思いが微かに伝わってくるような印象的なエントランスだ。

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光のストライプはつや消しのガラスパネルになっており、その裏面には言葉が刻まれている。アイルランドの大飢饉、世界の飢饉の歴史、そして現代なおも存在する世界の飢餓について、手紙や詩、歌、伝承、料理レシピ、議会報告書、統計など110もの文章が引用されている。この光のストライプは、メモリアルを囲むように配され、全長約32㎞になるという。夜間には、言葉が影となった光のストライプが浮かび上がる。

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メモリアル上部へ
暗いエントランスを抜けると、明るい別世界が開ける。アイルランドに現存していた大飢餓時代の田舎家があり、このメモリアルの核となる場所だ。この田舎家は、アーティストであるブライアン・トッレの遠縁にあたる親戚より寄贈された。アイルランドの地を離れた人びとの連帯や結束の表現として、国を超えてこのバッテリーパークに移設されたのだ。運搬移設は想像以上に骨が折れる仕事だったという。

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廃墟のような田舎家からゆるやかな道をたどり、屋上に出る。そこには岩だらけの地に植物が生えたランドスケープが現われ、宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』を思い起こさせるような静かで少し悲しいようなシーンを連想させる。

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アイルランドのネイティブな花や草木が植栽され、点在する岩は、アイルランドの32郡から寄贈された石灰岩(ライムストーン)。一つひとつの岩に運ばれてきた都市の名が刻まれ、300万年前の古代アイルランド海底の化石が含まれている。

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メモリアルの周辺には若い夫婦に人気があるバッテリーパーク内のマンションが並ぶ。展望デッキからは、対岸のニュージャージの高層ビル群や自由の女神が見える。
そして、ここから数ブロック内側には、もう一つの現代の悲劇が起こった「9・11」グランドゼロがある。

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photo credit: Yasuyo Kudo

アーティストBrian Tolle
アーティスト(日本語)ブライアン・トッレ
ジャンル(建築家、ランドスケープなど)アーティスト/ ランドスケープアーキテクト:Gail Wittwer-Laird、1100 Architect
場所(国)アメリカ合衆国
場所(原語)Battery Park, New York
完成年2002
施主・主催Battery Park City Authority, New York State Agency
関係団体(共催、後援、助成、協賛、協力)
資金源
  • 民間寄付
  • 個人寄付
資金源(その他の場合)
予算規模(円)
外部リンクhttp://www.batteryparkcity.org/Visit/Museums-And-Memorials/Irish-Hunger-Memorial.php
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