Public Art with Community Participation
清水裕子 Hiroko Shimizu
工藤安代 Yasuyo Kudo
キーワード: パブリックアート, 住民参加, コミュニティ, アメリカ, Public Art, Participation, Community, USA
近年、日本でも行政に住民の意見を反映する手法が、特に都市計画におけるワークショップ等を通じて増加している。すでにアメリカでは、ここ20年来、パブリックアートにおいても、住民が様々な形でそのプロセスへ参加することが重要視されてきた。それらの事例を紹介し、その現状や問題点についての検証を試みる。
アメリカでの事例紹介 [Case Studies in the US]
- Vol.1 <コミュニティー・センター、教育>
- Vol.2 <高齢者、女性>
- Vol.3 <公共施設、歴史>
- Vol.4 <地域づくり>
- Vol.5 <教育: ホームレス、ネイティヴ・アメリカン>
- Vol.6 <労働環境>
- Vol.7 <環境、ゴミ>
- Vol.8 <移民、ホームレス、教育>
近年、日本でも行政に住民の意見を反映する手法が、特に都市計画におけるワークショップ等を通じて増加している。すでにアメリカでは、ここ20年来、パブリックアートにおいても、住民が様々な形でそのプロセスへ参加することが重要視されてきた。それらの事例を紹介し、その現状や問題点についての検証を試みる。
アメリカでは、民主主義の伝統に基づき、住民がさまざまなかたちで行政に参加することが早くからすすめられてきたが、パブリック・アートにおいても、特にここ20 年来、そのアーティストや実施の方法についての決定プロセスに深く住民が関わるのが日常的なこととして行われてきた。近年では、さらに住民が作品そのものの制作プロセスに参加して、アーティストとともにひとつの作品を創り上げてゆくというプロジェクトが増加している。
このようなプロセスを経て、パブリック・アートは突然どこからか姿を現すものではなく、自分たちにとって非常に身近なものとして、また自分たちのコミュニティのアイデンティティを表現する手段として受け入れられてきている。
そこでは、アメリカの社会的背景が重要な意味をもっている。多人種国家であるがゆえのさまざまな差別や軋轢に対して、それぞれの人種・マイノリティの文化を公平/平等に評価し表現してゆこうする考え方、マルチ・カルチャリズムや社会での機会均等をすすめてゆこうとするポリティカリー・コレクトネスという考え方が、パブリック・アートのプロジェクトでも大きな役割を果たしてきたのである。
参加型のパブリック・アートは、コミュニティのアイデンティティを表現するひとつの手段として、その制作過程を通じて、その地域性や歴史性、さらにはさまざまな社会問題について、アーティストとともにあらためて見直し発信し、住民間さらにはコミュニティ間の互いの対話をはじめる契機となっている。
その参加の方法/度合はプロジェクトにより異なるが、概して以下のようにまとめられる。
- アーティストがコンセプトをつくり、参加者にことば、文字、イメージ等のアイデアを出してもらい、制作はアーティスト。
- 参加者がコンセプトをつくる段階から参加、制作はアーティスト。
- 参加者がコンセプト、制作全体にかかわる。
参加型のパブリック・アートの問題点としては、最も重要な点はその作品の質の問題であろう。一言で「質」といっても、アートとしての質なのか?住民にとっての満足度達成感の質なのか?両方の立場から評価する必要があるだろう。
また、アーティストの役割については、コミュニケーションの媒体として対話を促す、ナビゲーターとして誘導するなど、しばしば作品の制作者としてより、その匿名性が強調される場合、ソーシャル・ワーカー的な存在とどのように差別化されるのだろうか?アーティストがかかわる意味について、質の問題ともからめて考えなければならない。
パブリック・アートということばの意味は、曖昧模糊として、その意味するところは、それぞれの国でも異なっているようである。例えば、パブリックな空間に設置されればパブリック・アートなのか(西欧のパブリック・スペースと日本との違いもあわせて)? パブリックなお金(税金)で創られたのものなのか?それとも、住民が参加して、その意思のもとに創られたものなのか?そもそも、パブリック・アート、特に参加型のものがいわゆる「Fine Art」と同じ土俵でその質を問われるべきなのだろうか?
本発表は、アメリカの参加型の事例を紹介するにとどまったが、今後、パブリック・アートの定義付けを含め、さらに検証を重ねてゆく予定である。
環境芸術学会第2回大会研究発表
本発表は、アメリカの参加型の事例を紹介するにとどまったが今後日本での事例やパブリック・アートの定義付け等を含め、さらに検討を重ねる必要がある。