2003年の6月末にNYではじめて出現し、あっという間に世界中に伝染し大流行したflash mobsインターネットやe-mailを通じて組織化されたパフォーマンス・イベントとは?
どこからともなく湧いてきたような100人を超える人々が急にニューヨーク市内にあるデパートMacy’sの家具売場に出没した。そのラグ売場で、自分たちが共同生活をしている郊外のロフトのためラグ(love rugsという名前)を探し、みんなで議論する(ふりをする)。担当者が困惑し、10分過ぎたところで急に全員立ち去った。
NY初のflash mobs、Macy’sにて、2003年6月
この周囲があっけにとられるような行為・・・がニューヨーク初のflash mobsの一部始終である。このflash mobsは2003年の6月末にNYではじめて出現し、あっという間に世界中に伝染し大流行した。flash mobsとは、インターネットやe-mailを通じて動員された参加者が、特定の場所にそれぞれ同じ時間に集合し、そこでイベントのための詳細の指示を受け取り、指示にもとづいた無害な行動を取り、決められた短時間に霧散するという、ある種のパフォーマンス・イベントである。
セントラル・パークでは、集合した参加者たちが、岩盤を止まり木にして鳥の声をだし、その後nature!と連呼した。また、ヨーロッパ初のローマでは、 7月末300人が、市内の音楽と書籍の店で存在しないタイトルについてたずね、ベルリンでは8月初、込み合うメインストリートの真ん中で携帯電話を取り出してyes!yes!と叫び大騒ぎをするといったmobsがリポートされ、なかには警察が出動した例もあるという。パリでは、9月初に代表的な文化施設、ルーブル美術館やポンピドゥーセンターを舞台に展開された。
パリのflash mobs、ポンピドゥーセンターにて、2003年9月
このイベントを考え出したといわれる匿名のBillと呼ばれる人物は、これをinexplicable mobs(説明しがたい群衆)と呼ぶ。「ある人達にとっては、純粋に楽しいもの、社交的なもの、でもある人にとっては政治的なものにもなりうる。言ってみれば、通りに出ることだけで政治的な行為になりうるからね。個人的には美的だから好き、どこからともなく大勢の人々が集まってくて消えてゆくのを見るのが好きだね。」という。
確かに、説明しがたい性格と明確な意味性をもたないことがflash mobsの出没を広げているようだ。特に固定されたメッセージ性を持たず、参加者はそれぞれの関わり方で単にいっしょにいる体験、日常化しているコンピューターを通じたコミュニケーションとは全く異なる直の肌の触れ合いを楽しんでいるようだ。
サンフランシスコ在住のウェブ・デザイナー、Rob Zazueta 氏は、「ウェブ空間で、現実のコミュニティーとの関係性は大きなキーワードだったし、これはバーチャルなコミュニティーを現実の空間につなげるためにも役立つ。互いにコミュニケーションを取るための装置がどんなに優秀になったとしても、仲間と直接顔を合わせる時間は必要だ」と言っている。
一方、Smart Mobs: The Next Social Revolutionの著者Howard Rheingold は、これらのイベントが政治化される可能性を警告している。「今のところ集団的な行為活動を可能とする新しいテクノロジーの形を実験する無害なやり方だが、同じようにInternetや携帯電話を使って集団的な行動を組織するやり方は、フィリピンのエストラダ政権を倒したり、最大勝者と思われていた韓国の呂大統領をひっくり返すことに使われた」と指摘する。また、「シアトルの世界貿易機構への反対運動やフランスのガソリン価格論争でも重要な役割を果たした」として、すべてのmobsは危険な可能性をもっているという。
確かに群衆というだけで、本質的に政治的な部分があるのかもしれない。知らず知らず監視され管理されているような都会で、flash mobsは社会的拘束を超えること、だれも予想しなかったイベントの一員として加わることを楽しむ。これが、実は本来のパブリック・スペースを再び自分たちの手に取り戻す行為ともとれるのだ。
アーティスト主導によるこのような活動は、過去に遡ればテクノロジーの差はあるにせよ、50年代に始まったハプニングや60年代のカウンター・カルチャーと連動したパフォーマンス(戦争や黒人問題、フェミニズムに関する活動など)から、現代ではコンピューターによるインタラクティブ・ワークやネットを活用した参加型のコミュニケーション・アートと多様化してきた。いずれも、現実の空間であれ、バーチャルな空間であれ、社会的な慣習を破る試みを通じて、自分たちにとってのパブリックという枠組をとらえ直そうとする行為だといえるだろう。
因みに、日本でのflash mobsは東京駅でのジャンケンや原宿での懐中電灯ライトアップなど10月から11月にかけて2-3回ほど計画されたが、「一般常識的にやらないことを破れなかったから期待はずれだった」とネット上の某掲示板に書き込まれているように、集団での軽い遊びの要素は、どうもウケなかったようだ。
いずれにせよ、ふざけ半分の行為だけでは、どこでもすぐに飽きられるだろうと思う。このflash mobsが将来どのように変質してゆくのだろうか?新手のパフォーマンス・アートか、または新たな社会運動、政治活動か、その展開に注目したい。
参考:Howard Rheingold:The Next Social Revolution,
Perseus Publishing, 2002
Reportage FLASH MOBS, Beaux Arts 223, Octobre, 2003,pp. 84-87.
(H・S)