全国のアート・プロジェクト実施団体に対して、資料の保存状況や、アート・プロジェクトのアーカイブに対する考えを伺うインタビューシリーズ。第2回目となる今回は、一般社団法人torindo(トリンド)の森真理子さんにお話を伺いました。
2012年、森さんが代表理事の「一般社団法人torindo」により開催された『種は船 in 舞鶴』プロジェクトのアーカイブをP+ARCHIVEで取り組みました。2012年夏にアーカイブセンターに移管された資料のアーカイブ・プロジェクトは、2013年度まで継続して続けてきました。これまで森さんには『種は船 in 舞鶴』アーカイブでご協力頂いてきましたが、アーカイブがまとまりつつある今、改めてプロジェクトの現場での資料整理についてインタビューさせていただきました。
P+ARCHIVE:『種は船 in 舞鶴』アーカイブプロジェクト
(P+ARCHIVE、以下斜体)まず、『種は船 in 舞鶴』プロジェクト(以下『種は船』)を実践しながらどのように資料を残していったのでしょうか?
森真理子氏(以下、森) 基本的には資料として一番確実に残しているものは、ペーパーで手元に残った資料、企画書であったりとか、広報用の資料とか、打ち合わせしたメモなどは極力捨てずに、とにかくファイリングすることを心がけていきました。意外とメモに書かれていることが後に重要になったり、また参照することが多いので捨てずに残していました。
『種は船』の時にはタグ付けや日付の記入をお願いしましたが、どうでしたか?
森 以前はほとんどしていませんでした。タグ付けしたとしても日付くらいでしたね。
ただ2012年度の『種は船』を実践してく中で、意外と作成者を記入することも重要だと気がつきました。今はパソコンでデータを作るので、そのファイルを見れば月日や作成したパソコンまで遡れますが、確実にその文書の責任を明確にする意味でもタグ付けするのは良かったですね。他には「プロジェクト名」を入れた覚えがあります。『種は船』以外にも他のプロジェクトを「torindo」で進行している時は、ヘッダーにプロジェクト名を付けておくのを意識するようになりました。
最初、アーカイブチームから“タグ付け”を依頼された時には「少し面倒くさいな」とも思いました。本当に忙しい現場では些細なことが面倒だったりします。ですが振り返ってみると、今もそれは癖になって、習慣として残っている気がしますね。中身ももちろん大事なのですが、まず「いつどこで誰が作った文章なのか」というタグ情報があると、それだけで資料の取っ掛かりになります。
今は電子データの文書が圧倒的に増えていると思います。私自身がアートに関わる仕事をし始めた10年ほど前と比較すると、当時は紙ベースで残るものがもっと多かったですね。今はほとんどパソコンやeメールのやり取りが多くて、本当に時代の変化を感じます。個人としてもノートパソコンは頻繁に持ち歩きますが、定期的に外付けハードディスクにバックアップを取るようにしています。
写真、映像に関してはどうでしょうか?
森 『種は船』以降の変化だと思うのは、記録として写真や映像を残すことが非常に多くなったということです。それをスタッフにフォルダー分けをしてもらい、写真・映像の専用ハードディスクを用意して、文書とは完全に分けて保存しています。それはやはり、データ量が単純に大きいことと、画像や映像を見直すことの方が、外部からの要求としても書類より多くあるからです。
パソコンに関して、スタッフ間で共有している使い方のルールはありますか?
森 これも近年の変化かもしれませんが、「torindo」は現状3名の小規模な組織なので、共有せずに個人でPCを持っていても何とかなってしまいます。もう少し大きな組織だったらおそらくクラウドを使うとか、共有のディスクを持つなどあるのでしょうが。例えば今は「書類ちょっとメールで送って」みたいなことで済んでしまいますね。本当は良くないとは思いつつも、やはり忙しいとデータを分散して更新しているのが現状です。
それは、各スタッフがオリジナルの文書を持っているということでしょうか?
森 現状はそうですね。ただし、それらを意識して共有ハードディスクに保存する努力はしています。それから、私自身はあまり使いこなせていない感じはありますが、別のプロジェクトでは「Dropbox」を使ってメンバーでファイル共有することも行っています。
その電子データを整理・保存に対する内部的なルール、「内規」のようなものは作っていますか?
森 文言としては作っていないですね。口頭のやりとりのレベルで「ハードディスクに移した?」という感じで、定期的に意識づけのために声をかけ合う程度のことをしています。
『種は船』では、大型資料を含め、様々なサイズの資料が作られていますね。アート・プロジェクトでは確かに多様なものができていくことをリアルに感じることができました。
森 アート・プロジェクトの現場で生まれるような、ワークショップを案内するちょっとした看板とか、手書きで作ったメモとか、そういったものもとにかく全部残していました。終わってみるとそれはとても面白かったですね。今年(2013年度)は、『種は船』の時のようには残していないので、「ああ、これ去年の『種は船』だったら多分取っていたなぁ」と思いながら資料を捨てることがたびたびあります。資料を取捨選択して、些細なものや下書き的なものはどうしても捨てざるを得ないのですが、最終段階に決まったもの、アーティストの手が加わったものとかは意識的に残しています。
取捨選択はどのように判断されていますか?
森 プロジェクトが終わった時ですね。終わってからも3カ月か半年ぐらいはほとんど取ってあるような気がします。プロジェクトが終了する時は事務所に資料が散乱している状況だったり、場合によっては他のプロジェクトも同時進行だったりするので、落ち着いて片付けを始めるのは、結局プロジェクト終了後一か月ぐらい経ってからですね。
それは倉庫に仮入れしておくのでしょうか?
森 八島アートポート(事務局)の2階が倉庫化していますが、ここ数年の資料で倉庫の半分ぐらいが埋まってきているでしょうか。
どういう資料が「torindo」にとって最も大切だと思いますか?アーカイブ的な観点から言えばそれを「バイタルレコード」というのですが、森さんが残していきたいと考える資料は何でしょうか?
森 重要なものでは、最終版の資料でしょうか。例えば、プレスリリースとかが考えられます。プロジェクト初期の頃に出来上がるものの一つだと思いますが、結局それを繰り返し参照することが多いですね。告知していく時や、人にプロジェクトを説明する時、別の申請書を出す時にも使います。だからプレスリリースではなくて、企画書の場合もあるかもしれません。 要はこのプロジェクトのベースになるコンセプトとか、最低限の開催日時、主催者などが書かれている、「基本の企画書」と私は呼んでますが。
あとは、プロジェクトが終わって、後からよく参照する資料は、行政とのやりとりや申請書です。去年はどうだったか、その前はどうだったか、プロジェクトが違っても行政と対応するときに参照することが多いですね。助成金申請書や報告書など予算書も含めて計画が分かるものもそうです。
なるほど。会計関連で帳簿のようなものはどうでしょうか?
森 もちろん大切にしています。特に最近は、以前よりも経理状況への監査も厳しくなってきて、どの助成金団体でも書類を最低5年間保存することは問われています。電子データで残すことと、紙ベースでも残してすぐに参照できるように心がけています。
アート・プロジェクトではアーティストは大事なプレーヤーだと思いますが、アーティストの資料の保存についてはいかがでしょうか?
森 プロフィール的なものは置いています。さらに、ポートフォリオをいただいて保存することもありますが、関わっているアーティストの過去のカタログや発行されている文章、著書などは意識して集めて保存しています。整理というよりは棚に置いてあるだけですが、アーティストごとにまとまっていて、プロジェクトを行なう上で参照したり、関係者に紹介する時にも使います。
アーティストのドローイングやスケッチは「torindo」で保管するのか、それともアーティスト所有なのか。その線引きについてはどうでしょうか?
森 現状はとても曖昧にやっていると思います。ドローイングが発生するアーティストばかりでもないですし。自身が描いて残したものにルーズなアーティストもいれば、ちょっとしたメモとかスケッチも散逸しないようにするアーティストもいます。メモなどはそのままアーティストが所有することが多いですね。
アーティストとの契約書は作成していますか?
森 他の業界と比べて、契約関係がアート・プロジェクトの現場では緩いのではないか、と思っています。私自身もすべての局面で契約書を作れているかというと、そうではありません。最低限、後でもめ事になったら怖いので、依頼の話にしてもお金の話にしてもメール上で残しているパターンが一番多いですね。とりあえずっていう感じで。相手が大学とか自治体など行政の場合には、契約書を作成することが多いですが、対個人や同じような小さい規模のNPO などのチームだったりすると、契約書って意外と出てこないと思います。
ただ、やはりお金が動くと、そこは監査がきちっとしていて、例えば『種は船』の場合では、毎年、日本財団(『種は船』の助成元団体)の監査の方が現場にきて書類を見ていきます。説明のための準備などが大変で毎年苦労するのですが、私にはとてもいい経験になっています。そのときにも、お金が発生した根拠として、見積書や請求書のほかに契約書ってとても重要だと実感しました。
言葉でのやりとりは記録に残せているのでしょうか?残せていないとしたら、それはどうしてなのでしょうか?
森 やはり残すのは難しいと思います。現場の臨場感なり、アート・プロジェクトの現場感をどう表現したらいいのかは、いろいろな手法があると良いと思います。例えば2013年の『種は船』プロジェクトでは、喜多さん(2012年度の航海プロジェクトのクルーの1人)が船長として、3カ月半ぐらい塩釜に住みながらプロジェクトをまわしていました。写真も撮っていたのですが、今回は録音をかなり録っていて、ちょっとした飲み会やミーティング、現地で出会った地元の人のお話とか様々な場面でレコーダーを回していたと思います。例えばそういうものを丁寧に拾い上げていけば、現場の臨場感が示せる一つの可能性になるかもしれません。
一方で、何のために残すのかということがないと、結局ただ録っているだけになり、膨大にあるけれど、単純に聞き直すだけでもまた同じ時間が必要になったりします。録音されていることを意識してしまうと現場での雰囲気が変わったり、録音されていることを嫌がる人も当然いますし。臨場感を知りたい(伝えたい)のであれば、その現場に立ち会うか、何らかの方法で残したり、それを発信するしかないのかもしれませんが、そこは結構センシティブな問題だと思います。現場として、残すことを善しとするのかどうか、という点もしっかり考えないといけません。何のために誰がどのように残すのかということと、現場の臨場感や現場感とプロジェクトの評価みたいな話がつながってくると、アート・プロジェクトのいろいろな価値ができてくるような気がします。
アート・プロジェクトではメールでのやりとりも多いと思いますが、重要なメールなどは、特別なマークをするなど工夫はしますか?
森 重要なものはプリントアウトしてそれをファイルに綴じています。大学に勤めた時の経験からと、舞鶴市役所の職員の方がそのやり方をとっていて、複数で情報共有する場合に良いと思っています。ファイルに綴じるのは、全体のプロジェクトの流れの中で出てくる話やコンセプトに関わるような重要なメール、紹介先の連絡先などが書いてあるものなどでしょうか。
プリントアウトしたメールや、紙資料はファイルに分類して保存しているのでしょうか?
森 プロジェクトごとのファイルに綴じている感じです。『種は船』の場合は、初年度と2年目は、1冊にまとまっています。広報に関するもの、図面などテクニカルな内容のもの、外部とのやり取りなどで分類していました。2012年度の『種は船』プロジェクトは規模が大きく期間も長かったので、舞鶴での出港式(2012年5月19日)前までの船を造るところまででまとめ、出港式までのファイルと航海中のファイル、出航後の舞鶴での活動をまとめたファイルと、広報用の別のファイル、その他は「夜の市」という商店街のお祭りがあって、『種は船』と連動した企画を行っていたので、関連企画というファイルを作りましたね。
それと助成金関係の書類や予算・決算についての書類は全く別ファイルにしています。助成金の方は、申請書や途中経過の書類、報告書をインデックスで分けて見やすくしていますね。そのやり方も舞鶴市の自治体の方に学びました。私自身は、資料を比較的残す方だと思いますが、分類まではそれほど意識していなかったんです。行政と仕事をしていると、自治体は3年、5年で人が変わるので、拠り所になるものは書類しかないのだなと気づいて。だから書類を残すことに注意を払うし、そのノウハウも洗練されたものになっているのではないかと思っています。残そうという意識を持っている人たちのやり方を見た時に、すごく分かりやすかった。特に説明を受けなくても、そのファイル見て追っていけば、取りあえず現状が分かるという経験があって、これはすごいなあと思いました。
今回『種は船』のアーカイブ・プロジェクトは、アーカイブ専門の人たちが実施してきました。では自分たちでアーカイブをつくるということについて、どのように感じられるでしょうか?
森 来年、再来年といった近い将来に自分たちが参照したい事項のことは、やはりこれまで通り残すと思います。自分たちが活動を継続する上で過去を見るということは重要になってくるので、それはそれほど意識しなくても最低限はやると思います。より分かりやすい分類を加えたり、タグ付けをするみたいなことはこれからもやっていくと思いますね。2012年度のアーカイブ・プロジェクトのような規模の残し方、意識して積極的に残していくことは、とてもいい経験でした。終わった後に目録化された文書を見たときに、「ああ、やっぱりこれだけの作業が生じることなんだ」と実感できて良かったです。ただ、どの現場でもそれができるかというと、相当難しいと一方で思っていて、やはりそれはアーカイブを意識している人が現場にいないとまず不可能で、その余裕もないとできないことだと思います。それと、このアーカイブが後々どうなるかということを考えておかないと、絶対にできないと思います。
2012年度の場合は、それがアート・プロジェクトの評価軸を作るということが目標としてあったと思います。それが私のモチベーションとして大きかったです。今すぐに評価というところまで現状は追いつけていないとは思いますが、これが今すぐには意味を成さなくても、5年後、10年後、20年後に違った意味を帯びてくるのではないかと思いました。それが評価ということにもつながってくるのかもしれないですね。
将来的に何か活用されるかもしれないとか、自分たちがやっていることをもっと長い時間軸で考えようと思った時に活きてくることがあるかもしれない。そういう意識づけはできるかもしれません。
これは個人的な関心ですが、プロジェクトをアーカイブして残す時に、いろいろな文脈や協力者について残すことがとても面白いなと思います。時間や人との関わりがあって初めてアート・プロジェクトが成立していると思うので。『種は船』を例にとっても、かなり多面的に人が関わって成立していて(もっと言えば、時を経れば変わっていきます)、その方々が所有している関連資料は、もっとたくさんあると思います。2012年度は主に「torindo」やアーティストの限られた資料のみが対象でした。それだけでも膨大な量の資料になったのですが。それをさらに関係した協力者や行政、業者など、数をあげればきりがないですが、仮にそこまでも見せることができるとプロジェクトとしては面白くなるし、片手落ちではないような気がしました。「フネタネスコープ(※1)」はそういう意味で、意識的にいろいろな人の視点を取り入れましたが、その感覚が書類や資料ベースでもできれば面白いと思いました。
※1 フネタネスコープ = 種は船の記録のために[remo(レモ)]が考案した6つの条件(固定カメラ/無音/無加工/無編集/ズーム無し/最長1分)つきの撮影手法(参考リンク)
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一般社団法人torindo
http://torindo.org/
森真理子 Mariko Mori
プロデューサー/一般社団法人torindo代表理事/まいづるRBディレクター
1977年愛知県生まれ。南山大学文学部人類学科卒業後、古川美術館学芸員、愛知県文化情報センター、京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター等での仕事を経て、2007年よりフリーランスで美術・舞台芸術など幅広いジャンルで企画制作・プロデュースを行う。
2007年よりシアターカンパニー「マレビトの会」プロデューサー、2009年より京都府舞鶴市でのアート・プロジェクト「まいづるRB」ディレクターを務める。2012年より非営利の芸術活動団体「一般社団法人torindo」を立ち上げ、代表理事を務める。
[今後のtorindoの予定]
2014年7月5日(土)
東舞鶴商店街「はまっこ夜の市」での西尾美也によるファッションショーを開催
※事前に行うワークショップ等への参加者を募集中。
2014年7月6日(日)〜2015年2月7日(土)
北澤潤八雲事務所 監修による『時間旅行博物館』と連続実践講座を開催
※10〜11月に舞鶴市内にある歴史的建造物「赤れんが配水池」を舞台にした『時間旅行博物館』の企画運営をする“時間旅行学芸員”を募集中。
2014年10〜12月
砂連尾理によるダンス公演「とつとつダンス part.2 愛のレッスン」の大阪公演・東京公演他を開催
詳しくはtorindoウェブサイト、または、MAIZURU RB Facebookをご覧ください。