ART & SOCIETY RESERCH CENTER

P+ARCHIVE

2010.08.03

P+ARCHIVE第一回レクチャー「プロセスとしてのアーカイブ」報告

7月24日、3331Arts Chiyoda内の302レクチャールームにて、川俣正氏による「プロセスとしてのアーカイブ」のレクチャーが行われた。これはP+ARCHIVEゼミが主催するアーカイブ・レクチャーの第一回目に当たる。川俣氏は、自身が手がけたプロジェクトの資料を実際にアーカイブしていることでも知られ、アーティストの視点からのアーカイブ方法とその意義をうかがえる、ゼミ受講生にとってはまたとない勉強の機会となった。

レクチャーの前半では、川俣氏のアーカイブに対する多面的な考えをうかがうことができた。アーティストは作品に取りかかる前にそれを関係者に説明しなければならないが、その際に過去の自分のプロジェクト資料がとても役立つという。また、過去の資料は今後のプロジェクトを展開するための情報源にもなるとのこと。川俣氏にとってアーカイブは当初、必要に迫られてつくられたものであった。いまでは打ち合せでも、そのあとの飲み屋の席でも、記録のためのテープはつけっぱなしにしている。その場のちょっとした話が重要で、それがプロジェクトを変化させることもあるのだという。

レクチャーの後半は質疑応答に当てられた。「残したいのに残せなかったものは何か」との受講生からの質問に、氏は「作品」と答える。過去の自分の作品を覚えている人がいるのはうれしい、結局は記憶というものを信じたい、という趣旨の発言は興味深かった。途中、歴史家のカルロ・ギンズブルグにも言及した川俣氏は、文書には残らないような記憶(痕跡?)をとても重要視しているように見えた。

また、アーカイブという言葉の定義についての質問に及ぶと、川俣氏は「アーカイブとは意識の問題である」と答えた上で次のようにいう。自分にとって資料は必要なものだったし、とくに蒐集がしたかったわけではない、と。また自分にとってアーカイブの意義とは、地域の人たちにアートがどのような作用を及ぼしうるのかをリサーチしていくための方法であると説く。そして氏は「なぜアーカイブをするのか」と逆にわれわれに問いかける。これはアーティストから出された核心的な問いかけと思い、深く考えさせられた。

アーカイブ自体はあくまで作品やプロジェクトとは別物としてあり、それをどう使うのか、また何のためにアーカイブを行うのか、という方向性や目的しだいでアーカイブの価値や性格は大きく異なることを川俣氏は主張したが、これはP+ARCHIVEゼミの今後の活動においても重要な論点のひとつになるのではないだろうか。

今回は、実際に川俣氏のアーカイブルームの写真も見ることができ、また「CIAN」のプロジェクトや「東京インプログレス」についての進行状況についても聞くことができた。受講生にとってはアーカイブに関する新たな知的刺激を得ることができ、またそれに対する考え方の反省を大いにうながされたに違いない。

(アート&ソサイエティ研究センター 清水康宏)

(写真:廣瀬遥果)

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