RMCA国際デザイン・コンペに参加して

アート&ソサイエティ研究センターでは、COP26に関連した国際デザイン・コンペ「Reimagining Museums for Climate Action(RMCA)」に注目し、建築家と景観デザインの専門家に呼びかけてThe Water Seeds-Sumida River Design Collectiveを結成、都市を流れる川をミュージアムに活用するプランでこのコンペに応募しました(詳細はプロジェクトページ参照)。以下、このデザイン・コレクティブのメンバーとして参加したA&Sインターン、徳山貴哉さんのレポートを掲載します。


 

私が今回の国際デザイン・コンペへの参加を強く希望した背景に、その題目『Reimagining Museums for Climate Action (気候アクションに向けたミュージアムの再考)』への大きな共感があった。国際系の学部を卒業し、現在福岡にてメーカー勤務をしている自分は、元々アート専攻といったようなバックグラウンドは持ち合わせていない。しかし、学部時代から興味があった気候変動やソーシャルジャスティスなどのアクティビズムの事例を調べるにつれ、アートと社会の接点から世界にメッセージを訴えかける人々の姿に大きな興味と可能性を感じた。加えてミュージアムは、私にとって気候変動への危機感が自分事となった空間でもあったからこそ、なんとしても今回のコンペに携わりたいと強く懇願したのだった。

日加コンソーシアムでプレゼンテーションする筆者  Courtesy of Takaya Tokuyama

私は海外に行くと – その目的が旅行であっても何かのプログラムであっても – 空き時間を見つけてはコーヒーショップとミュージアムを巡るのを楽しみとしている。学生時代、日加コンソーシアムの学生フォーラムに参加するためにカナダの首都オタワを訪れた際も、空き時間を見つけてNational Gallery of Canadaに足を運んだ。「たまたま余っていたから」とフロントスタッフが無料で渡してくれたチケットが思い出深く、今思えば、その時手渡されたのは「小さなつながり」だったのかもしれない。その日の展示内容は、カナダの写真家Edward Burtynskyによる写真展《Anthropocene – the Human Epoch》。Anthropocene、通称「人新世 (じんしんせい)」とは、産業革命以降の人間活動による環境負荷が地球に半永久的な痕跡を残すほどのレベルに達し、地球の地質年代が完新世の時代から、新たな「人間の時代」に突入したことを指す。この用語によって、人間の地球に与える影響が無視できないほど大きなものとなっていることを警告している。展示エリアに足を踏み入れ、数々の美しい写真たちに近づくと、そこには自然の摂理では「起こり得ない現実」が映し出されていた。機器学的に掘り起こされた地面、色鮮やかなゴミの山、伐採地帯と森林のコントラスト。目の当たりにした「新たな現実」が自分に流れ込み、美しさと悲しさの入り混じった感情が心に湧き上がり、思わずその場に立ち尽くした。度々口にしていた「自分事にする」という言葉の重みを、初めて受け取ったように感じた。今でも鮮明に覚えているあの時の感情は、今振り返っても大きなターニングポイントだったと確信している。あの瞬間から、自分が「見えていない現実」に目を向けること、そして自分の持つ特権 (Privilege)について、常に意識するようになった。

この「見えていない現実」は、現代のグローバル化によって負の影響を受けている世界中の場所や人々を意味する「グローバル・サウス」という概念で説明されている。昨今話題の著書『人新世の「資本論」』[1]によると、資本主義における先進国の豊かな生活の裏側では、様々な被害や悲劇がグローバル・サウスに集約され、あらゆる災害、人災、環境破壊などは、遠い地で起きた「不運な出来事」として先進国とは切り離され描かれてきた。しかし同書が示すように、日本をはじめとする先進国は、間違いなく今日のグローバル・サウスの問題に加担してきたのだ。

この現状が続く原因の一つとして、「つながりの欠如」が挙げられるだろう。日々の生活で目にする物資の多くは、グローバル・サウスから複雑なサプライチェーンを経由し先進国へと送られてくる。しかし資源の出所である「遠い地 (見えていない現実)」の実情について、私たちは一体どれだけ理解しているのだろうか。ある種「ソーシャルディスタンス」が世に浸透するずっと前から、私たちと社会の距離は日に日に遠ざかっていたとは、なんとも皮肉な話である。しかし、私たちと社会の “ソーシャルディスタンス” が深まる一方で、人権、気候、ジェンダー、貧困など、すべての問題は相互に作用し合い、その被害はグローバル・サウスへと不平等に分配されていく。にもかかわらず、例えば気候危機というグローバルな問題が、社会の断片化(≒つながりの欠如)を背景に、どこか「他人事」のように扱われてしまう。現代を生きる私たちが問われているのは、そんな断片化された世界とのつながりを取り戻すことなのではないだろうか。

同書の終盤では、解決の糸口としてミュニシパリズム(地方自治主義)の事例が紹介されている。国境を超え、世界中のさまざまな都市や市民が自治体レベルで連携し合いながら革新的な都市改革を行うミュニシパリズムが、バルセロナをはじめとする世界中の地域に広がり、新たなエコロジカルな民主主義社会を築こうとしている。ローカルとグローバルが交錯しながら、市民による積極的な政治参加を通じて、社会のつながりを取り戻そうとしているのだ。ここに、今回の「Water Seeds」プロジェクトのさらなる可能性を感じてならない。歴史的に人々の生活の基盤を担ってきた隅田川を、パブリックスペースとして再び地域社会へと開き、ローカルコミュニティおよび世界の都市とのグローカルな連帯を育みながら、気候アクションを広げていく。人々がつながり、学び、そして行動の実践へと発展していく「Water Seeds」という空間は、地域、国境を超えたアートと社会の接点を生み出し、大きなアクティビズムを後押しする新たなミュージアムのあり方を示すと同時に、日本におけるミュニシパリズム発信の拠点として大きな可能性を秘めていると強く感じている。

この「つながりを取り戻す」という文脈と並行し、今回のコンペティションの審査員の一人であるMiranda K. Massie氏は、気候アクションにおける「対話」の重要性について言及している。Massie氏はインタビュー[2]の中で、気候ミュージアム、通称アクティビスト・ミュージアムという空間は、①気候変動についての「対話」の場である、②気候アクションを実施する場である、③インクルーシブな共同体を創造する場である、ことが必要だと説いている。気候危機というグローバルな問題を前に、人々が沈黙や絶望感に陥ってしまうのではなく、まずは「対話」という小さな一歩を促し、共同体としてアクティビズムを拡大させながら、さらなるアクションへと発展させていく。「対話」という気候危機への積極的な関わりを促すことで、共同体としてより大きな気候アクションの実現を目指すのだ。

ここで重要なのは、「対話」とは意見の一方的な伝達ではなく、コンシャスネス・レイジングのように、セーフスペースの中で各々の考えや経験を語り合いながら、知識の共有や自己内省へと発展させていくということだと思う。用意されたレールをただ歩き、明確に設定された目的地へと向かうのではなく、一人ひとりの主体性を前提に、人々が対話を通じて目的地を模索しながら、共に歩みを進めていく。言い換えると、対話とは、今歩んでいる道を自分たちの手で正しい道にしていく、という強い意志を育む場でもあるということだ。気候危機に対して、自分の行動の規模や影響力の大きさにかかわらず、自分が自分の行動の主体として生きる意思を持って取り組むことこそが、共同体全体の大きなエネルギーとなるのではないだろうか。

自分が福岡市在住ということもあり、那珂川沿いを散歩すると、ふと福岡版Water Seedsプロジェクトの展開について想像する。そしてその度に福岡でのWater Seedsは、隅田川で展開するWater Seedsとコアバリューを共有しながらも、全く異なった表情をしているだろうと感じている。非常にコンパクトでアクセスの良い福岡市内の中心を流れる那珂川が、新たなパブリックスペースとして地域に開かれたとき、屋台文化に続き、どのような都市の新たな交わりが生まれ、どのような地域の共同体意識が育まれるのか。そんな考えを巡らせながらいつも思うのは、人間的な営みの中に完全な再現性は存在しないということだ。たとえ同じ枠組みを展開したとしても、展開される地域、利用する人々、その地域ならではのカルチャーによって、Water Seedsは全く違ったものになるだろう。そしてその不確定さを持ち合わせていることこそ、Water Seedsの大きな魅了の一つではないだろうか。あるべき姿を設定してそこから逆算的にではなく、多様な接点が生まれやすい空間づくりと、そこから新たなアクションへと発展できる「余白」を常に持ち合わせているWater Seedsは、人間的な営みの魅力そのものであると感じている。

福岡市を流れる那珂川 photo:Michiko Akiba


ここで、先日読んだ『ひび割れた日常 − 人類学・文学・美学から考える』[3]の中で語られている「足し算の時間」について紹介したい。私たちは、未来のある地点から逆算して現在の行動を決めるという「引き算の時間」をベースに物事を考えてきた。最近ではオリンピックの誘致が、その最たる例と言えるだろう。しかし、本書ではパンデミックが引き起こした「引き算の不能」によって、私たちの生活の中に、今できることを少しずつ足していく、不均一で、より生理的な「足し算の時間」が生まれたのではないかと指摘されている。常に合理性と効率化を念頭に置く今日の社会は、明らかに「引き算の時間」をベースに成り立っている。しかし、限定合理性という言葉が示すように、私たちが見出す合理的な意味とは、あくまで自分たちが認識できている範囲(もしくはそれ以下)でしかない。大いなる自然に背を向けて経済成長を追求した結果、気候危機やグローバル・サウスの深刻化を招いている今日の現状は、私たちの合理性の限界を示しているのではないだろうか。
私は同書で示される「足し算の時間」が、ここまで語ってきた「つながりを取り戻す」ことに通じていると感じてならない。気候危機に対し、一人ひとりが行動の主体として大きな共同体を形成し、対話と行動の中で目的地を模索していく。その過程で、私たちが断片化された世界と、地域社会と、人々と、そして自分自身とのつながりを取り戻すとき、私たちは「明日何が起こるのかも分からない」という予測不能性を受け入れながら、常に世界に対して謙虚さを持って生きていくことができると思う。「分断」ではなく、常に「かかわること」を選択し、対話の中でより良い世界を目指していく。これからも世界との間に、能動的で、積極的な人間的つながりを育んでいきたい。

東京湾に注ぐ隅田川 photo:Michiko Akiba



[1] 斎藤幸平 (2020)『人新世の「資本論」』、集英社
[2] https://climatemuseum.org/blog/2020/7/28/museum-programming-for-civic-engagement-on-climate-change-with-miranda-massie?fbclid=IwAR1wu7AXJvO4JAxoLI0fsyLgX4oKqAoVX2W3Mbs8HreAguJ01J0ux47XtnI
[3] 奥野克巳、吉村萬壱、伊藤亜紗 (2020) 『ひび割れた日常 − 人類学・文学・美学から考える』亜紀書房

徳山貴哉 (Tokuyama Takaya)
1997年生まれ。ソニー株式会社のセールス&マーケター、アート&ソサイエティ研究センターのインターンシップ生。関西学院大学で学士号を取得し、現在、福岡の地域コミュニティ・プロジェクトとペルーのスタートアップ・プロジェクトの両方に携わっている。2020年には、内閣府の「世界青年の船」事業(SWY32)に日本代表として参加。

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クライメート・スピークス
気候危機を考える若者の詩作とパフォーマンス

開催中止のお知らせ
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
本イベントの実施にむけて準備を進めてまいりましたが、コロナ禍のなかで、対面でのワークショップ、トレーニング参加への躊躇も多く、加えて緊急事態宣言が発出され、予定のような複数回にわたる対面での開催が困難となりました。参加者および関係者の皆さまの健康・安全面を第一に考慮した結果、断腸の思いですが、《クライメート・スピークス》の開催を中止する判断をいたしました。お申し込みいただきました皆さま、ご参加をご検討いただいていた皆さま、ご協力をいただきました皆さまに深くお詫びを申し上げます。何卒、ご理解とご了承賜りますようお願いいたします。

10代の若者のみなさん! あなたの創造力、想像性を生かした「詩」をつくり、気候危機に向き合う、あなたのビジョンや想いを発信しませんか?

地球温暖化が急速に進み、気候危機が差し迫った問題となっている今、未来の社会を担う若者たちは、大人たちに任せていては温暖化を阻止できないと、政府の脱炭素化の実現や人々の行動変容を求めて、世界各地で声を上げています。 スウェーデンの高校生活動家、グレタ・トゥーンベリさんの「Fridays For Future (FFF:未来のための金曜日) 」活動に応えて、日本でも若者による「気候マーチ」のアクションやワークショップ、集会、提案などの活動がはじまっています。
《クライメート・スピークス》は、詩作とパフォーマンスによって、気候危機をクリエイティブに訴えるアートプログラムです。これは、ニューヨークの非営利団体 Climate Museum が2018年に立ち上げた同名のプロジェクトをモデルとしています。10代の若者たちが、気候変動とそれが社会に与える影響を学び、地球の今と未来へのメッセージを自らの言葉で綴り、思いを込めて朗読する! 私たち、特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センターは、その姿にインスパイアされ、東京での開催を企画しました。

Climate Museumは気候危機問題に対する人々の理解を深め、つながりを築き、正しい解決へのアクションを促すプログラムを、アートと科学を用いて提供するニューヨークのNPO。ミュージアムと称しているが専用の展示施設は持たず、さまざまな場で展覧会、トーク、ツアー、科学教育などを企画・実施しています。

実施内容とスケジュール

《クライメート・スピークス》プログラムは3ステージで構成されています。
※ 会場での実施については、新型コロナ感染状況によってオンラインに変更する場合があります。

ステージ1|気候危機をテーマに詩をつくる
参加者は、気候・環境に関する専門 家によるレクチャー、詩人による詩作レクチャーをオンライン会議システムで受講。その後、各自気候危機をテーマとする詩を書きます。 別日に参加者は自分の詩を持ち寄り、詩人と共に相互のディスカッションをへて、原稿をさらにブラッシュアップしていきます。

環境・気候に関するレクチャー
講師:野村涉平(国立環境研究所 高度技術専門員)
5月16日(日)10:30-12:00 オンライン

詩作に関するレクチャー
講師:藤原安紀子(詩人)
5月16日(日)13:30-15:00 オンライン

詩作に関するワークショップ
講師:藤原安紀子(詩人)
A日程:6月13日(日)10:30-12:00 会場:ECOM駿河台(予定)
B日程:6月27日(日)13:30-15:00 会場:アーツ千代田3331 B105室
※ A日程、B日程のどちらかを選択してください

ステージ2|詩の朗読を習う ※希望者のみ
ステージ1の参加者のうち公開パフォーマンスに出演を希望する人は、プロのパフォーマーによるポエトリー・リーディング(詩の朗読)の指導を受けます。

ポエトリー・リーディング コーチング 
講師:山谷典子(劇作家 俳優)
日程:8月1日(日)13:30-15:00 会場:都内の小ホール

ポエトリー・リーディング公開に向けたリハーサル 
日程:8月8日(日)13:30-15:00 会場:ワテラスコモンホール

ステージ3|舞台で詩を朗読する ※希望者のみ
10名程度の最終選考に残った人が、都内の小劇場で自作の詩を読むパフォーマンスを披露します。パフォーマンス終了後には、コメンテーターを交えたアフタートークをおこないます。

公開パフォーマンス 
コメンテーター:石黒広昭(教育心理学者)/ 上野行一(美術による学び研究会 代表)/ 浦嶋裕子(MS&ADインシュアランスグループホールディングス総合企画部 サステナビリティ推進室 課長) / 藤原安紀子(詩人) / 山谷典子(劇作家 俳優)
日程:9月19日(日)14:00-16:00 会場:ワテラスコモンホール

募集要件

・ 東京都内・近郊在住の10代若者40名
・ 上記スケジュール「ステージ1」のレクチャーとワークショップの両方に参加できる人 
※ ステージ2, 3は希望者, ステージ1日程 : 5月16日(日)オンライン・レクチャー , 6月13日 (日) または6月27日(日)のいずれか都内指定会場でワークショップ実施

参加申込方法

・ 参加無料、事前申込制(先着順)
特設ウェブサイト内の申込フォームよりお申し込み下さい

講師プロフィール

野村渉平 Shohei Nomura
1984年にニューヨークで生誕。幼少期から青年期にかけて、両親に連れられ様々な自然公園で過ごし、自然と人間との関りに興味を持つ。2012年に国立環境研究所に入所。現在、気候変動の主因である温室効果ガスの動態を明らかにするために、温室効果ガス観測の空白域であるアジア域とオセアニア域での観測点の展開、観測維持および観測データの解析を担当している。

藤原安紀子 Akiko Fujiwara
1974年京都府生まれ。2002年、第40回 現代詩手帖賞受賞。詩集に『音づれる聲』(2005年・歴程新鋭賞)、『フォトン』(2007年)、『アナザミミクリan other mimicry』(2013年・現代詩花椿賞)、『どうぶつの修復』(2019年・詩歌文学館賞)。詩誌『カナリス』編集同人。2016年より学園坂スタジオにて詩のワークショップ講師を務める。

山谷典子 Noriko Yamaya
劇作家、俳優。文学座附属演劇研究所を経て、文学座座員となる。2011年、演劇集団Ring-Bong(リンボン)を立ち上げ、劇作家として活動を開始。劇団俳優座、椿組、Pカンパニーなど外部からの依頼も多い。NHKラジオドラマも執筆。桜美林大学非常勤講師。都立総合芸術高校市民講師。日本劇作家協会協会員。

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主催|特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センター
助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
協力|環境総合誌BIOCITY、美術による学び研究会
協力|立教大学文学部石黒研究室

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A BLADE OF GRASS ア・ブレイド・オブ・グラス 第3号 2019年秋
—ソーシャリー・エンゲイジド・アートについてのマガジン—

『ア・ブレイド・オブ・グラス』 日本語版第3号を発刊


『ア・ブレイド・オブ・グラス』は、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)に取り組む米国のアーティストに対し、プロジェクト資金の助成と活動支援を行っている非営利芸術団体「A Blade of Grass (ABOG)」が2018年秋に創刊し、ウェブサイトで公開している年2回刊のSEA専門マガジンです。アート&ソサイエティ研究センターでは、ABOGの協力を得て、このマガジンの日本語版を編集・公開しています。

第3号のテーマは「規範に挑戦するアーティストたち」。身体的、経済的、制度的な理由で社会の「標準」からはずれ、「周縁」に位置づけられた人たちの経験と創造性を肯定し、彼らに対する人々の見方や態度を変ようと挑戦しているアーティストに焦点を合わせています。日本語版には、社会復帰に困難がつきまとう元受刑者、ジェントリフィケーションで追い立てられる極貧層やホームレス、差別や搾取の対象となる移民労働者の問題に取り組むプロジェクトについての記事を掲載しました。連載の「アーティストに聞く」では、メアリー・マッティングリーが読者からの質問に答え、ABOGのエグゼクティブ・ディレクター、デボラ・フィッシャーは、芸術機関を原子炉に喩えた興味深いエッセイを執筆しています。

Contents
▪︎ 第3号イントロダクション
▪︎ 未来の自分を思い描く:投獄後のアイデンティティの再生
▪︎ スキッド・ロウの低所得層住宅(アフォーダブルハウジング)を創造的に
▪︎ 移民の抵抗と連帯による協働のアート
▪︎ アーティストに聞く:メアリー・マッティングリーが質問に答える
▪︎ 芸術機関(アート・インスティチューション)を原子炉に喩えてみよう

PDFダウンロードはこちらから (9.4MB)

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私自身の言葉:COVID-19(新型コロナウイルス感染症)に対するハノイの反応 サバイバルと長期的発展のための教訓—ウット・クエン(Út Quyên)

本稿は、ハノイ在住のウット・クエンによるテキスト、「My Own Words: Hanoi’s response to COVID-19」を邦訳したものである。友人であるクエンから文章を書いたと知らせをもらったのは、6月下旬のことだった。まだ世に出ていない原稿を光栄にも受け取ったのだが、ベトナム人以外の反応を知りたいという思惑も彼女の中にあったのかもしれない。
現代アートスペースのスタッフとして、またアート分野のライターとして培われた視点やネットワークをもって書かれた原稿からは、未曾有の状況を書き留めることに対する彼女の熱量を感じた。ハノイの芸術文化スペース、団体によるCOVID-19への対応を文章の核としながら、それらが抱える恒常的な課題についても述べられている。局所的な事象が描かれているが、他の場所でも起きていることかもしれないとも思った。多くの読者が待ち望んでいるはず、とクエンに向けて読後のメッセージを返信した。推敲を経たクエンの最終稿が書き上げられてからも、ハノイの様子は日々変化している。99日間の平穏ののち、ベトナムでは7月下旬より再び新型コロナウイルスの感染者が増え始め、感染拡大の第2波に見舞われた。現在ハノイの状況は落ち着きつつあるが、公共の場でのイベントに対する一定の制限は解かれぬまま、スペースや団体は活動を続けている。
本稿内でCOVID-19の一過性に言及したハー・ダオの言葉は力強く響く一方で、クエンは持続可能な活動の難しさを記す。両者とも文化芸術活動を取り巻く環境に対する危機感は共通している。クエンが言うような文化芸術に関する体系的な働きかけの実現に向けては、個人や団体間の水平的な連帯が重要度を増すだろう。COVID-19がもたらした繋がりの変化、繋がるものや方法の変化は、明らかに個々の活動に影響を与えていることが本稿からも読み取れるが、より大きなうねりに波及するだろうか。これまでも常に戦術を駆使してきたに違いないハノイの実践者たちから、新しい生活様式の下で生み出されるものを、今後も辿っていきたい。

拙訳の掲載を快諾してくださったアート&ソサイエティ研究センターの皆様に心より感謝申し上げます。
(金子望美)


 

ベトナムはCOVID-19の抑え込みに成功したといってもさしつかえないだろうが、世界的なパンデミックの影響はこの国の生活のあらゆる面に及び、軽視できない。芸術文化産業も例外ではない。本稿はハノイの芸術文化関連のスペースへのインタビューをまとめたものであり、彼らの懸念や、変動する世界で持続的な将来を構築するために彼らがとった短期的・長期的対応を明らかにすることを狙いとした。

「レッド・ダスト・ホライズンズ」コンサートの観客。Photo by Le Huong Quynh. Image courtesy of DomDom.

「新しい日常」
ベトナムで全国的なロックダウン1)措置が解除されたのは2020年の4月下旬だった。5月末には公共の場での芸術文化活動が慎重に再開され、公共の場でのイベント開催は徐々に以前の頻度に戻りつつある。実のところ、芸術文化関連の団体の多くは、オンライン上や現実空間でのイベントに対する関心の高まり、参加者の増加を感じていた。例えば実験音楽のような、挑戦的な芸術形式(art forms)もその一つである。実験音楽とアートのハブであるドムドム(DomDom)によるライブパフォーマンス「レッド・ダスト・ホライズンズ・コンサート(Red Dust Horizons Concert)」には、300人が来場した。

参加者の急増は、参加可能な公共の場でのイベントが少ないためと考えられる。これは好ましい兆候であるとして、ローカルのアーティストたちは歓迎しているものの、一方では、一過性のものかもしれないと慎重に見ている。

 

孤立する芸術文化コミュニティ

トークイベントの司会を行うグエン・アイン・トゥアン氏(右)。Photo by Nguyen An. Image courtesy of Heritage Space.

先日、シンガポールの『ストレーツ・タイムズ(Straits Times)』紙は、生活に必要不可欠なサービス(essential services)に関する調査記事を発表し、必要不可欠ではない職業(non-essential jobs)ランキングの1位に「アーティスト」を挙げた。これは他国の記事にもかかわらず、ベトナムのアートコミュニティの人々の間に怒りや皮肉といった反応を次々と引き起こした。しかし、この調査が明らかにしたのは、COVID-19の流行に対処するにあたって芸術文化コミュニティがいかに孤立しているか?ということだ。インディペンデントな現代アートスペースであるヘリテージ・スペース(Heritage Space)のディレクター、グエン・アイン・トゥアン(Nguyễn Anh Tuấn)は言う。「芸術は社会の上部構造の総体に属しており、それ独自のインフラや経済的・精神的価値体系を備えているが、国や人々から適切に注意を払われるのはいつも最後になる」。さらに、「我々は常に最低限のリソースしか与えられず、社会的な危機が訪れる時はいつでも、それどころか平常時においても自力で何とかしなければならない」と付け加える。

このパンデミックによって、アートコミュニティとベトナムの政策立案者との折り合いの悪さは浮き彫りになるばかりだ。文化スポーツ観光省は、インディペンデントな芸術文化コミュニティを支援するための緊急対応策をいまだに講じていない。政府による620億ベトナムドン(およそ260万ドル)もの金融支援パッケージ(Financial Assistance Package)は、COVID-19の影響を受けた人々に向けて打ち出されており、清掃員から食料雑貨店の販売員、個人事業主の運転手まで、幅広い職種をその対象としている。しかし、ザ・ベトナム・ナショナル・インスティテュート・オブ・カルチャー・アンド・アーツ・スタディーズ(the Vietnam National Institute of Culture and Arts Studies、以下VICAS)のリサーチャーであり、ヴィカス・アート・スタジオ(VICAS Art Studio)のマネージャーであるグエン・ティ・トゥ・ハー(Nguyễn Thị Thu Hà)は、インディペンデントなアーティストはこの対象外であることを指摘している。

 

共通の状況に対する様々な反応

ザ・ベトナム・ナショナル・インスティテュート・オブ・カルチャー・アンド・アーツ・スタディーズ(VICAS)のリサーチャーであり、
ヴィカス・アート・スタジオのマネージャーであるグエン・ティ・トゥ・ハー博士。

ロックダウン後のVCCAでの展示ツアー。Image courtesy of VCCA.

国から支援を受けている組織は、経済的な安定を得ている一方で、危機に素早く対応する力を犠牲にしている。2017年に設立されたヴィカス・アート・スタジオはベトナムで唯一、政府が支援している現代アートのスペースである。外から見る分には、彼らは恵まれた立場にいるように思える。インフラへの支援があり、従業員の給与は保証され、活動やプロジェクトの予算は確保されている。3ヶ月の社会隔離期間中でさえ、VICASのスタッフはリサーチャーとして国の予算から給与が支払われていた。将来のプロジェクトはどれも中止を免れており、既存のプログラムは再開されるはずだ。パンデミックが終わればVICASは運営を再開し、鑑賞者やコレクター、コミュニティとの結びつきは以前と変わらぬままだろう、とVICASの協働者やアーティストの皆が確信していた。

しかしグエン・ハー博士2)は、国からの支援を得ているがために、危機に対応する能力を構築することに対してメンバーがかなり消極的になっていると言う。スタッフ全員は研究所のリサーチャーとしての職務を優先させなければならない一方で、ヴィカス・アート・スタジオの運営を無償のボランティア活動として行う。したがって、アートスペースのためのチームを安定して維持することは難しく、メンバーは過重労働になることが多い。パンデミックの間、彼らは組織を変えるための解決策を積極的に提案することはできなかった。

ベトナム最大の企業の一つであるビングループ(Vingroup)傘下のビンコム・センター・フォー・コンテンポラリー・アート(Vincom Center for Contemporary Art、VCCA)もまた、先行き不透明な状況に直面している。彼らの活動は企業の決定に左右されるためである。もし経済状況が悪化すれば、非営利事業のアートセンターは真っ先に閉鎖される可能性がある。

マッカ・スペースの展覧会ツアー。Image courtesy of Matca.

資金提供の削減と移動の制限に見舞われ、文化芸術関連のスペースや団体の大半は、プログラムの延期や中止を迫られている。しかしながら、パンデミックの有無にかかわらず、芸術文化のためのインフラが不十分であるという状況の中で自分たちが活動していることを、文化芸術の実践者は理解している。写真家であり批評家、またマッカ・フォトグラフィー・スペース(Matca Photography Space)のマネージャーでもある、ハー・ダオ(Hà Đào)は言う。「おそらく、インディペンデントなアートスペースは激変する生活に慣れすぎている。アンダーグラウンドで活動していて、生き残るための方法を常に探す必要があるので。そういった意味では、COVID-19はすぐに過ぎ去る出来事でしかない」。アートギャラリー兼カフェのマンジ(Manzi)はいち早く活動を取り戻した場所の一つで、展示のオープニング、イベント、トークイベントの予定が詰まっている。経済的に自立し続けること、そして地元当局とうまくやる方法を知ることは、スペースの存続に初めから影響を及ぼす課題である。

 

サバイバルのための改革

TPDの映画制作クラス。Image courtesy of TPD.

ハノイの芸術文化関連のスペースの多くは、ロックダウンの期間を運営の見直しや能力開発のための機会とみなした。建築とアートのためのスペースであるアゴハブ(AGOHub)は、パフォーマンスの向上とリソースの十分な活用のために、仕事を特徴的なカテゴリーに振り分ける必要があることに気がついた。現在アゴハブは、物理的な施設を管理するチーム、専門分野のイベントを企画するチームという2つの独立したチームを抱えている。ザ・センター・フォー・アシスタンス・アンド・ディベロップメント・オブ・ムービー・タレンツ(The Centre for Assistance and Development of Movie Talents、以下TPD3) )のディレクターであるグエン・ホアン・フォン(Nguyễn Hoàng Phương)は、人的・金銭的リソースが限られている組織にとって、共同体の形成(community building)は最も重要であると述べている。ロックダウン期間中、TPDは組織内のコミュニケーションを深めることや、彼らのサポーターに無料で授業を提供することに力を尽くした。

ATHの子ども向けの演劇プロジェクト。Image courtesy of ATH.

デジタル化は、COVID-19への対応にみられる世界的な傾向である。パフォーミングアーツの団体は、ライブイベントに代わるものとしてのデジタルの有効性に当初は疑いをもっていたものの、現在はより多くの観客の獲得や、より活発で国際的なプログラムを可能にするという利点を見出している。例年のパフォーミング・アーツ・スプリング・フェスティバル(Performing Arts Spring festival、PAS)に代わり、そのオンライン版を2020年6月に2日間にわたってZoomで開催したことで、ATH4)はいつもより多くの専門家をゲストに招くことができた。その中には、英国とフランスから招待した影響力のある演劇とダンスのアーティスト2名が含まれ、彼らによるワークショップが行われた。この仕組みにより、生徒によるパフォーマンスや舞台新作についての録画配信や、本フェスティバルのために特別に行われたコンサートや演劇2本のライブストリーミングも可能になった。

数々の団体は、協力する機会や潜在的なパートナーも新たに獲得した。ヘリテージ・スペースはゲーテ・インスティトゥート・ハノイ(Goethe-Institut Hanoi)とのコラボレーションにより、映画『ザ・スペース・イン・ビトウィーン:マリーナ・アブラモヴィッチ・アンド・ブラジル(The Space in Between: Marina Abramović and Brazil)』を上映した。観客とオンラインで共有するこの試みに、思いがけずアブラモヴィッチが参加した。ヘリテージ・スペースのグエン・アイン・トゥアンは言う。「アブラモヴィッチと連絡を取ったのはイベントのほぼ1週間前だったが、こちらの出演依頼に応じてもらえるとはあまり思っていなかった。いつもなら彼女のスケジュールは1年先まで埋まっているはずなので」。レジデンススペースのバー・バウ・アーティスト・イン・レジデンス(ba-bau AIR)は、外国人アーティストへ宿泊施設を提供する方針から、ローカルのアーティストや団体を招いてのイベントや短期のワークショップに施設を利用する方針へと移行した。旅行が制限されているゆえにコラボレーションの機会を国内で探さざるを得ないことが、結果的に地元の芸術文化の実践者、スペースや団体間のつながりを強めている。

パンデミックに対処するためにそれぞれのスペースが取った即時の行動もまた、長期的に運用されるモデルになる可能性を秘めている。例えば、ア・スペース(Á Space)はオンラインプラットフォームであるバーチャル・ア・スペース(Virtual Á Space)を展開し、現実空間のスペースから独立して運営している。アーティストでア・スペースを設立したトゥアン・マミ(Tuan Mami)は、「バーチャル・ア・スペースは若手のアーティストやアートの実践者がプロジェクトを発展させたり、展示を企画したりする可能性や、物理的な空間に関しては通常よりエスタブリッシュな実践者のための場所を使う機会を提供できる」。バーチャル・ア・スペースでの初めての展示となる「アイ、アザー・エグジスタンスィズ(I, Other Existences)」は2019年に結成されたマルチメディア・アートコレクティブであるモー・ホイ・モーモ?(Mơ Hỏi Mở – MO?)がキュレーターとなる予定である。

 

持続可能な将来はあるか?

ロックダウン後のアゴハブ主催によるデザイン思考に関するワークショップ。Image courtesy of AGOHub.

COVID-19が発生して初めて、ベトナムの実践者から持続可能な発展の問題が提起された。アゴハブの創設者兼マネージャーであるグエン・トゥアン・アイン(Nguyễn Tuấn Anh)は、「持続可能であるためには、アートや非営利の活動と実利的で商業的な活動とのバランスを取ることが必要だ」と述べる。しかし、これは他の多くのスペース、特に実験的なアート様式を扱うドムドム、ア・スペース、ヘリテージ・スペースなどにとっては、難しい問題である。さらに、今回インタビューしたマネージャーやオーナーの中で、感染拡大の第2波や再度の長期休業を自身の組織が乗り越えられると確信している者は一人もいなかった。

サバイバルと長期的な発展に不可欠な教訓(lessons learnt)を以下に記す。

・危機に対応する力を高める
・市民との結びつきを強める
・内部のリソースをより有効に活用する
・活動やプロジェクトを局地化(localise)、地域化(regionalise)する
・海外の団体や機関からの資金提供への依存度を減らす
・非営利活動と収益性のある活動のバランスを探る

これらのアクションに加えて、国民への教育やコミュニケーションのプログラムを通じて、文化芸術産業に対する理解を体系的なレベルで向上させる必要がある。

 

筆者について
ウット・クエン(Út Quyên)は芸術分野のライター、芸術文化関連のコーディネーター、オーガナイザー。インディペンデントのライターおよび芸術文化を扱うウェブサイトであるハノイ・グレープバイン(Hanoi Grapevine)の寄稿ライターとして、芸術活動に関する論評を執筆する。また、ハノイのインディペンデントなアートスペース、ヘリテージ・スペース(Heritage Space)でのクリエイティブイベントやアートプログラム・プロジェクトのほか、ハノイ市内にある他のアートセンターと協働する分野横断的なクリエイティブプロジェクトにて、企画・運営に従事する。現在はベトナムのハノイに在住し活動している。

本稿記載の見解や意見は筆者個人のものであり、必ずしもArt & Marketの見解や意見を反映するものではありません。本稿は長さ、明確さのため編集されています。

(訳者/金子望美)


訳者による注釈
1) ベトナムにおいて、全国的な社会隔離措置は4月1日より開始された。政府により、買い出しや救急、必要不可欠な商品・サービス関連勤務以外の外出自粛要請が発出され、また公共の場所において3人以上の集合が禁止された。これに先立ち、グエン・スアン・フック(Nguyễn Xuân Phúc)首相やマイ・ティエン・ズン(Mai Tiến Dũng)政府官房長官は、本措置はあくまで要請であり都市封鎖(ロックダウン)とは異なる旨を強調した。しかし訳者の所感では、ベトナム国内における制限の強さを他国の都市封鎖の状況と比較した場合、隔離措置期間中のバス・鉄道等の公共交通手段およびタクシー・grab等の輸送サービス停止や、ベトナム当局が街中を巡回して監視する様子(報道によれば、複数地域において政府の要請を遵守しない者への罰金例が多数挙げられている)等より、ベトナムもそれに準ずるように感じた。
本文では、筆者が原文内で「lockdown」を使用する限り、「ロックダウン」と訳出している。
2) 既述のグエン・ティ・トゥ・ハー(Nguyễn Thị Thu Hà)博士を指している。
3) ベトナム語の団体名「チュン・タム・ホー・チョ・ファット・ティエン・タイ・ナン・ディエン・アイン(Trung tâm hỗ trợ Phát triển tài năng Điện ảnh)」の略称。
4) 当該団体設立時の名称であるアトリエ・テアトル・ド・ハノイ(Atelier Théâtre de Hanoi)の略称が転じて、現在はATHが団体の正式名称となっている。団体設立当初は活動の主眼を演劇に置いていたが、現在は音楽・ダンス、アートやクラフトにまで活動領域を広げている。それに伴い当初の名称であるアトリエ・テアトル・ド・ハノイの使用をやめて、代わりにアトリエ・テアトル・エ・アーツ(Atelier Théâtre et Arts、ドラマ・アンド・アーツ・スペースの意)という説明が用いられるようになった。

金子望美 (Nozomi Kaneko)
都市、文化、資本とその関係性を関心の軸に据えながら、文化芸術分野の翻訳やリサーチに従事する。パフォーマンスアートのデジタルアーカイブ、Independent Performance Artists’ Moving Images Archive (IPAMIA)のメンバー。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ、Culture Industry(MA)修了。現在ベトナム・ハノイに在住。

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自然農とアートにみる生物多様性という生存戦略

2020年オリンピックイヤーが幕をあけた。東京では様々な文化イベントが予定されている。これは2012年のロンドンを参考にしていると言う。私は以前、ロンドンのNPOでコミュニティアートを実践する現場に数か月立ち会った。2004年当時は、オリンピック開催の最終候補都市に選ばれ、早くもカルチュラルプログラムが意識され始めていた。当NPOはイーストロンドンの、移民や低所得者層の多い地域にあった。地域の若者たちの文化的体験を支援しており、あるプロジェクトでは「NEW ROOTS- Young Hackney Voices」として音楽が好きな若者たちに対し、プロで活動するアーティストをコーチに迎え、詩をつくるワークショップから本格的な録音スタジオでの楽曲の収録、CDの制作、それをライブという場で表現するまでの機会を提供した。NPOのギャラリーで行われたライブには、区長や地域の人々が訪れ盛況だったが、ラップまじりのヒップホップを聞いて、涙を流すほどの衝撃を受けたのは私だけであっただろう。そこにはいわゆるマイノリティである彼らの「生きるための表現の場がある」と強く感じたのだ。アートが生き方の多様性を保障しているように見えた。

NEW ROOTS-Young Hackney Voicesライブの様子(2004年)


左:ライブの後は区長と若者たち、地域の人々が歓談 右:プロが立ち会い本格的に仕上げられたCD

さてここから農の話をしよう。「切り干し大根をつくる」と聞いて直ぐにアートのような創造性を、あるいはアートに触れたときのようなひらめきや高揚感を想像できるだろうか。

秋空の下で切り干し大根をつくる

2019年秋、北信州に住む私たちは切り干し大根を作るワークショップを行った。湖と森と山を抱く小さな町での小さな出来事だ。その日、自然農法で米と野菜を栽培する農家「りんもく舎」の畑に集まったのは、鍼灸師、絵本作家、元教師など数名。職種や働き方も様々な人間が集まり、畑から大根を引き抜き、水路で泥を落とし、空の下で包丁やスライサーを持ってひたすら大根を切る。ただそれだけのことだが、皆で手作業を共有すると普段はしない対話が自然と生まれる。
例えば、皆で昔の暮らしを想像してみる。保存食や伝統料理、その背景にある資源循環型の生活が当たり前にあっただろうことに話や想像は及ぶ。あるいは、そもそも切り干し大根を作ることとなった発端を自然農家とともに話し合う。出荷されずに畑に根付いたままの大根たち。自然農は農薬や肥料を使わないため、天候の変化による微生物の動きの影響を受けやすい。その結果、今年は大根の肌がきれいに仕上がらなかったというのがその理由だ。そこには気候変動も身近なものとして浮かび上がり、また、画一的に整うことが求められるスーパーマーケットの野菜たちの姿も、さらには学校教育のなかにある子どもたちの姿も重なってみえてくる。
この体験は、ひとつの作業や事柄を通して、多くの想像を引き出す、新たな視点を得るという点において、まさしくアートにおける体験と似たような感覚をもたらした。

切り干し大根づくりの一連の作業風景



自然農の農家との対話では世界の真理の一端をみるようなことが起きる。ある時、畑の一角で団粒化した土を見せ、バクテリアの仕業なのだと教えてくれた。それは作物の栄養分を生成するバクテリアが生息し、住みやすい環境を生成していることを意味する。
「慣行農業ではいかに害となる菌を排除するかと考えるけれど、ぼくら自然農では、いかに多種多様な微生物を土のなかに生かすかと考えるんだ。多様な微生物が生息すれば一種だけが突出して繁殖し栽培に害を及ぼすということが起きないから。」と言う。彼の畑ではキノコも時折顔を出す。キノコ(糸状菌)が優位に働く土は自然のバランスが整っている証なのだと嬉しそうに話す。「土も草木も野菜も人も、それだけで生きている訳ではなく、いろんなものに生かされて生かし、持ちつ持たれつしながら生きている。単純、単一であることは効率的で便利かもしれないけれど、とても弱い。」ということを畑は教えてくれる。そして、多様性のある世界(土)がいかに美しく、その一部として育ち、共存する様々ないのち(野菜や雑草)の力強さを語ってくれた。
この対話を通して、彼がアーティストと同様な立場にあると感じた。アーティストはいわば世界の多様性を表す存在だ。定常化した社会の理を見つめなおし、異なる角度から表現し、私たちにあらゆる世界の在り方を提示してくれる。

左:枯草や稲藁の下で団粒化した土 右:キノコが生える畑の土 (りんもく舎提供)


自然農では野菜も雑草もいきいきと共存する (りんもく舎提供)



この自然農とアート、あるいは農家とアーティストの共通点は何だろうか。現在日本で自然農を含めた有機農家の割合は農家全体の0.5%に過ぎない。年々増加傾向にあるそうだが全国でわずか1.2万戸だ。(*1)一方アーティストの数は定義があいまいで計り知れないが、国税調査によると「文筆家・芸術家・芸能家」という社会経済分類で871,910人。(*2)ここで想定するアーティストの範囲はその中のさらに一部であるため、随分荒っぽい比較だが、少数派だと思われるアーティストと同様に、もしくはそれ以上に有機農家は極めて少ないことがわかる。有機農家もアーティストも選択的マイノリティとでも言おうか、オルタナティブな視点をもって社会を見てきた少数の人たちなのだ。彼らは今ある社会やシステムに違和を感じとり、ある人は自然農法という技法で、ある人はアートという表現方法で、問いを投げかける。それは藤浩志が自身の作品を「OS作品」というように、あるいは『藝術2.0』(熊倉敬聡著)のなかで小倉ヒラクが「OSとしてのアート」と表現しているように、OSの違いこそあれ、そこにある精神性や創造性という点で共通しているのではないか。そしてさらに言うならば、今まさにそれぞれのOSを持ち寄り、新たな価値を共有する、新たなOSを作り出すといった、いわば創造性の複合形がアートの文脈の内にも外にも増えつつあるように思う。
彼らは、多様性をもち、すべてが循環して複合的に関わり合うなかで奇跡的に世界が成り立っていることを知っている。そして自らも多様性を表出する一部となり、同時に、世界の多様性を持続することを助けているという意味で二重に役割を担っているのだ。
今私たちはとても不確かな時代にいる。グローバル資本主義が引き起こす経済格差、環境汚染、気候変動、自然災害、エネルギー問題、政治的緊張関係から移民、貧困、孤独まで世界共通の課題は枚挙にいとまがなく、しかもそれらは複雑にからみあい、決して他所の問題とは言えない関わりをもって私たちの眼前に立ち現れる。当たり前だと思っていた価値観をこのまま続けていいものか。それに気づいた人から行動を始めている。依然少数であることに変わりはないだろう。しかし、不確かで複雑で先行きがわからない時代だからこそ、少数のオルタナティブな視点をもった人々が新たな光をもたらすかもしれない。生物は時に脆弱な種や能力も持ち合わせながら生き延びてきた。それは変わりゆく世界で何が生き残る手段に変貌するかわからないからだ。生物多様性を担保することこそが不確かな時代を生き延びる戦略であり、それを知っているのが農とアートなのかもしれない。
(文:天野澄子)


*これは決して慣行農業を否定するものではなく、また自然農に携わる農家がすべてこの通りであるとは限らない。アートやアーティストに対する考え方もここで示すものは一部である。
*1)農林水産省平成25年8月発表「有機農業の推進に関する現状と課題」より
*2)国勢調査 平成27年国勢調査 抽出詳細集計(就業者の産業(小分類)・職業(小分類)など)より
参考文献:
『藝術2.0』熊倉敬聡 著(春秋社)
『発酵文化人類学』小倉ヒラク 著(木楽舎)
取材協力:りんもく舎 http://rinmoku.com/

天野澄子(Sumiko Amano)
横浜国立大学教育学部総合芸術課程卒。1997~2013年まで株式会社タウンアートにてアートプロデューサーとしてパブリックスペースにおけるアート計画の企画から作品設置まで多数のプロジェクトに携わる。2004年文化庁芸術家海外研修によりロンドンのアートNPO「Free Form Arts Trust」にてコミュニティアートについて学ぶ。2013年子育てを機に長野県へ移住。現在は公共文化施設計画の設計支援等、アート思考をOSとしてフリーに活動中。

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A BLADE OF GRASS ア・ブレイド・オブ・グラス 第2号 2019年春
—ソーシャリー・エンゲイジド・アートについてのマガジン—

『ア・ブレイド・オブ・グラス』 日本語版第2号を発刊

『ア・ブレイド・オブ・グラス』は、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)に取り組む米国のアーティストに対し、プロジェクト資金の助成と活動支援を行っている非営利芸術団体「A Blade of Grass (ABOG)」が2018年秋に創刊し、ウェブサイトで公開している年2回刊のマガジンです。アート&ソサイエティ研究センターでは、ABOGの協力を得て、このマガジンの日本語版を編集・公開しています。

第2号のテーマは「WHO(誰)」。「SEAは誰がつくり出すのか」に焦点を合わせた6本の記事が掲載され、「アーティストに聞く」では、アクティビスト・アーティストとして知られるドレッド・スコットが読者からの質問に答えています。また、ABOGの創立者でエグゼクティブ・ディレクターのデボラ・フィッシャーによる芸術機関の在り方に関する連載エッセイが始まりました。日本語版第2号では、以下の記事を翻訳掲載しています。  

  • 第2号イントロダクション
  • パートナーとしての市:行政機関とコラボレートする3人のアーティスト
  • 「金継ぎ」というアート:若者、警察、馬がケアの政治を覆す
  • とどまり、聞き、統合する:アパラチアの過去と現在を音でつなぐ
  • インスティチューションを進化させる:誰が帰属するのか?
  • アーティストに聞く:ドレッド・スコットが質問に答える

PDFダウンロードはこちらから (3.4MB)

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エンドレスジャーニー展 〜終わらせたい、強いられた旅路〜

 

世界各地ではいまも多くの人が紛争や迫害、暴力や貧困によって住まいを追われ、終わりの見えない命がけの旅を続けています。本展は、人びとに寄り添い医療を提供してきた国境なき医師団の活動を伝える体験・思考型の展覧会です。この展覧会場に、詩人・谷川俊太郎と美術家・諸泉茂のコラボレーションによるアート空間が誕生します。

 

谷川俊太郎の詩と諸泉茂による温度計のインスタレーション空間に鑑賞者が参加します

国民的詩人である谷川俊太郎が国境なき医師団のために書き下ろした詩。真白な壁面にその詩が記され鑑賞者に詩が描く世界を伝えます。一方、諸泉茂の手がける目盛りのない温度計は、壁面や台上に数百本並べられ、室内の温度を示しま す。人が触ることで、温度計の赤い線がその人の体温へと変化していきます。医者が人を「手当する」ことで人の命が助かることと、温度計に「手を当てる」ことで自分の温度を知り、命の大切さを感じてもらうこと、2つの「手当」をテーマとした参加型の展示です。会期5日間、参加者は自分の体温の高さにメッセージを残すことができ、日を追うごとに参加者の言葉が空間に溢れていくことでしょう。

アーティスト プロフィール

谷川俊太郎 Shuntaro Tanikawa
1931年東京生まれ。18歳頃から詩作を始め、詩集「二十億光年の孤独」を刊行(1952年)。「櫂」同人。詩、翻訳、創作わらべうたなど幅広く活躍している。1983年「日々の地図」で読売文学賞を受賞。またレコード大賞作詞賞、サンケイ児童出版文化賞、日本翻訳文化賞なども受賞。詩やエッセー、翻訳、脚本など幅広く活動する。

諸泉茂 Shigeru Moroizumi
1954年生まれ。多摩美術大学彫刻学科卒業。主な展覧会に 1999-2001年 FUJINO 国際アートシンポジウム企画運営。2010年 台北当代芸術館にて個展開催。作品集『°C』出版。2012年 「Aqua-Ignis」に作品を常設(三重県)。2013年 「カラーハンティング展」(21_21 DESIGN SIGHT)など、国内外で個展・グループ展を多数開催する。

会期|2019年12月18日(水)ー22日(日) 11:00‐20:00(最終入場時間19:30)
会場|アーツ千代田 3331/1階メインギャラリー 〒101-0021 東京都千代田区外神田6丁目11-14
入場料|無料
主催|特定非営利活動法人 国境なき医師団日本
特別協力|谷川俊太郎、諸泉茂
協力|特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センター
後援|千代田区
お問合せ|国境なき医師団日本 広報部:舘俊平 press@tokyo.msf.org Tel:03-5286-6141

特設ウェブサイト

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Art Scene 2010-2020 シンガポール現代美術の巡り方

赤道直下の小さな経済大国である多民族国家のシンガポール。文化芸術政策の一環としてアートへの投資が盛んなこの国では、新しいアートスポットが続々と誕生しています。
今回はアートプロデューサーの関ひろ子さんをお招きし、2010年から6年間シンガポールに滞在した経験をふまえ、現在のシンガポールのアートシーンを紐解いていただきます。
シンガポール社会を色濃く映し出し、国民啓蒙の数々のキャンペーンを批評したプロジェクト「Campaign City」。人の住むペラナカンハウスやHDB(公共の集合住宅)や金融街オフィスなどに新作を設置し街の歴史や場を再考した「OH! Open House」。シンガポール人の8割が居住するHDBの118軒の室内写真から多民族国家の文化を捉えた本のプロジェクト「HDB: Home of Singapore」など、社会と深く関わりをもつアート・プロジェクトを紹介します。 また、アートフェア(2011~)や、現代アートギャラリーの集積地ギルマンバラックス(2012)、アートセンターのNTU/CCA( 2013)、ナショナルギャラリー(2015)など、アートへの投資に近年力を注いでいるシンガポールのもう一つの姿も取り上げる予定です。様々なアートシーンを目の当たりにした関さんならではのお話しは、日本とシンガポールの文化・芸術環境の比較をうながし、そしてシンガポールのアートを巡るヒントとなるでしょう。

日時  2019年11月14日(木) 19:00-21:00
会場  3331 Arts Chiyoda B105マルチスペース www.3331.jp/access
定員  15名(先着順)
参加費 1,500円 (南国の軽食と飲物を用意しています。準備の都合上11/12までにお申し込みください。)

講師プロフィール

関ひろ子|Hiroko Seki|アートプロデューサー(東京、シンガポール、ハノイ)
1992年大岩オスカールのマネージメントを皮切りに1997年コマンドN、2009年Beppu ProjectのアートNPOとアートフェアなどに携わる。クリティカル・クエスト-批評の役割ゲーム展(スパイラル)、Muntadas:Asian Protocols展(アーツ千代田3331)などを企画。2010年よりシンガポール、2016年よりハノイにて現代アートのリサーチを開始。日本の企画の現地コーディネーター、Herb & Dorothyの東南アジア上映配給人。

お申込み

下記のGoogleフォームよりお申込みください。
https://forms.gle/Uwr2fvhzXjzQ3Yav7

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主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

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【緊急レクチャー】現代美術作品の展示中止・撤去を読み解く


あいちトリエンナーレ2019で「表現の不自由展・その後」が展示中止となったことをきっかけに、憲法で保障された表現の自由と芸術作品/芸術を提示する空間について、さらには芸術文化活動に対する公的支援の是非について、さまざまな視点から議論が百出しています。
社会に関わるアート活動を支援し、人々の創造的環境の充実に寄与することをミッションとするアート&ソサイエティ研究センターでは、今回の出来事を表現の自由をめぐる衝突の歴史の中でとらえ、具体的な事例を紹介することによって、今日の民主主義社会におけるアートの在り方を考えるためのレファレンスを提供する、緊急レクチャーを実施いたします。

開催概要

8月3日、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」展が不当な圧力を受け、わずか3日間で展示中止となりました。しかし、これは突然起こった出来事ではありません。その予兆ともいえる事例はすでに10年前から多発していたのです。そうした、近年続発する現代美術作品の撤去、展示中止等の事例を取り上げ、その経緯、理由は何だったのか、その背景には何があるのかを探ります。
また、今回の「表現の不自由展・その後」に関しては、多くの識者がコメントを発信しています。それらを整理すると、本件は単なる表現の自由の問題だけにとどまることなく、多面的に読み解く必要があることがわかります。アーティスト、自治体、キュレーター、鑑賞者などさまざまな関係者がそれぞれの立場から、どうしたらこの難問に立ち向かうことができるのか。この機会に、それを考えるための基本認識を共有したいと思います。

日時  2019年10月31日(木) 19:00-21:00
会場  3331 Arts Chiyoda B105マルチスペース www.3331.jp/access
定員  30名(先着順)
参加費 1,000円 ※参加者全員に、SEA専門マガジン『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版冊子(A4・42ページ)を進呈いたします。

講師プロフィール

武藤祐二|Yuji Muto|現代美術史研究者
現代美術作家を目指す学生として1970年代半ばを過ごし、その後、一鑑賞者として現代アートをウォッチするとともに、独学でその理論の勉強を続ける。一方、3年ほど前までは国家公務員として、放送法という日本で唯一の言論法制の事務に長年携わってきた。その二足のわらじの体験が、憲法第21条「言論・報道・表現の自由」という点で交差していることに気づき、以来、この分野を考察している。
Twitter @forimalist

お申込み

下記のGoogleフォームよりお申込みください。
https://forms.gle/Uwr2fvhzXjzQ3Yav7

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主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

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SEAラウンドトーク記録集 — アーティストは今、ソーシャリー・エンゲイジド・アートをいかに捉えているのか?



アート&ソサエティ研究センターでは、2014年よりソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)という新たな芸術実践の調査・普及・支援活動に力を入れてきました。その活動の一つとして「SEAラウンドトーク」シリーズを、2017年10月〜2018年7月まで10回にわたり開催いたしました。

「SEAラウンドトーク」は政治や社会に関心を持つ第一線で活躍するアーティスト10名を招聘し、アーティストがソーシャリー・エンゲイジド・アートをいかに捉え、自らの創作活動と社会との関わりをどのように考えているのかを生の声で聞き、聴講者と共にディスカッションするレクチャーシリーズとして企画されました。この度、その成果をまとめ、『SEAラウンドトーク記録集 — アーティストは今、ソーシャリー・エンゲイジド・アートをいかに捉えているのか?』として発行する運びとなりました。

目次
03 こあいさつ
04 SEA ラウンドトーク実施概要
06 SEA ラウンドトーク講師 プロフィール
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08 清水美帆|アートの楽屋―アーティストの視点から考えるアートと社会の関係
16 山田健二|ホスト・スノーデン時代の映像表現
26 高山 明|演劇と社会
36 藤井 光|SEAは可能か?
46 ジェームズ・ジャック|海を中心とするSEA (=Socially Engaged Art and Southeast Asian Art)
56 池田剛介|コトからモノヘ―芸術の逆行的転回にむけて
64 竹川宣彰|ワークショップ:差別団体のデモに抗議してみる
74 岩井成昭|辺境=課題先進地域に求められるアートとは?
–––––– –––––––––––––––––––––
84 おわりに

A4判|本文86頁|定価:1,000円(税込、送料含む)

ご希望の方はこちらのフォームよりお申し込みください。

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