「マディソンスクエア・パーク」のパブリックアート・プログラム
  Madison Square park – Public Art Program
  ―都市公園とコンテンポラリー・アート―

マディソンスクエア・パーク

マディソンスクエア・パーク


マディソンスクエア・パークは、ニューヨーク市マンハッタンのマディソン街とブロードウェイに挟まれた23丁目~26丁目に位置する都市公園だ。その広さは25,000㎡で、およそ東京の日比谷公園の約1/6程度の面積しかない。しかし、歴史的な建築として有名な「フラット・アイアンビル」(1902年竣工)や「エンパイア・ステートビル」(1931年竣工)がすぐ側に見えるという抜群なロケーションにある。スポーツアリーナやコンサート会場で有名な「マディソン・スクエア・ガーデン」とよく勘違いされるが、ミッドタウンの落ち着いたエリアにあり、都会的な雰囲気のある公園だ。ここを管理するのは「マディソンスクエア公園管理局(The Madison Square Park Conservancy)」という非営利管理団体で、ニューヨーク市公園局と連携して、公園内の植栽のメンテナンスや安全管理はもちろんのこと、文化芸術プログラムを実施しているのが特徴だろう。

公園としてのヒストリー
マディソンスクエア・パークは、ニューヨークの中でも活気の溢れる公園の1つだが、今日の姿に至るまでには地元の人びとによる努力の積み重ねがあった。
第4代大統領ジェイムズ・マディソンからその名がつけられ、1847年から都市公園としての長い歴史を持っている。19世紀の終わり頃、この周辺はマンハッタンで最も高級なエリアであったが、1990年代に公園は荒廃していった。ここまではマンハッタンの主要な公園によくある歴史だといえる。実際、数ブロック上にあるもう一つの人気公園の「ブライアント・パーク(Bryant Park)」も同じような憂き目に合い、一時は麻薬と犯罪がはびこる恐ろしい場所に陥ってしまった。マディソンスクエア・パークも、それまでの美しく歴史的な景観は破壊され、うす暗く危険な公園へと変わってしまったのだ。

整備の行き届いた美しい芝生

整備の行き届いた美しい芝生


この問題を解決するため、都市公園財団(マディソンスクエア・パーク管理局の前身)は公園再生のキャンペーンを行なった。その結果、メトロポリタン生命保険、ニューヨーク生命保険などの企業や個人から600万ドルの寄付が集まった。さすが寄付文化が根ざしたアメリカだという声があがるところだが、その後、マディソンスクエア・パーク管理局に変わってからも公園のメンテナンス費用として400万ドルを集めている。
その資金をもとに、公園を19世紀当初の美しいランドスケープに修復し、再びマンハッタンの生活の中心の場となるべく努力を続けた結果、青々とした芝生が再生され、色とりどりの花々や低木などの植栽が戻り、噴水は新たな水循環方式に変わった。さらに新しいエントランスや歩道、街燈も整備されていき、新生したマディソンスクエア・パークは新たな住民を呼び寄せていった。こういった努力の積み重ねにより、再び人びとが行き交う活気を取り戻し、安心して憩える空間に生まれ変わったのだ。

公園内の子供の遊び場

公園内の子供の遊び場


今では、「Shake Shack」という人気のハンバーガー店(New Yorkマガジンで“ベスト・バーガー” (2005年)に選ばれた)に人が集まり、屋外のテラス席ではビールやワインを飲む姿を見ることができる。子供の遊び場はもちろんのこと、愛犬用の「ドッグラン」も整備され、さらに(最近ではめずらしくなくなったが)無料のWi-Fiが整備され、ニューヨーカーに重宝されているようだ。

パブリックアート・プログラム
ゆったりした雰囲気のこの公園には、もう一つユニークな文化プログラムがある。公園に現代アート作品をインスタレーションしていくパブリックアート・プログラムで、マディソンスクエア・パーク管理局がマネジメントしている。このプログラムは、国際的に著名なアーティストやまだ経験の浅い新人アーティストを招聘して、公園にために新たに作品を制作してもらうという、いわゆるコミッション(委託制作)方式が取られている。展示期間は約3か月程度で、パーマネント(恒久的)な展示と異なり、テンポラリー(期間限定的)なプログラムで、世界でも一番といえるほど刺激が多いこの街の人びとを引き付ける工夫がなされている。

このプログラムがはじまった当初、2000-2003年の3年間は、NYの老舗的な非営利芸術団体である「パブリックアート・ファンド(Public Art Fund)」が運営を担っていた。トニー・オースラーやダン·グラハム、マーク・ディオン等の大物アーティストが招聘され、大いに話題を集めた。その後、アートプログラムの担当者を管理局内に置くこととなり、これまでにマーク・ディ・スベロ(2005年)、ソル・ルウィット(2006年)、ロキシー・パイン(2007年)、リチャード・ディーコン(2008年)、川俣正(2008年)、ラファエル・ロサノ=ヘメル(2009年)、アントニー・ゴームリー(2010年)、ジェウメ・プレンサ(2011年)、レオ・ビジャレアル(2013年)等の大物アーティストにコミッションを依頼している。

気になるのはその運営資金だが、ニューヨーク文化部門から公的サポートを受けている他に、多くの民間企業や財団、基金などからの寄付によって成り立っているという、街のなか芸術活動へのサポートが少ない日本と比較すると羨ましい限りだ。
このプログラムに関して、行政側の評価もまずまずで、たとえば、現代のメディチとも言われアート擁護派で有名なブルームバーグNY市長は、「マディソンスクエア·パークは、ニューヨーカーや観光客が好む場所となった。これにはコンテンポラリー・アートプログラムが大いに貢献している。」とご満足の様子だ。

マディソンスクエア・パークのパブリックアート・プログラムの詳細については、「マディソンスクエア・パーク管理局(The Madison Square Park Conservancy)」のHPを参照の事。



Orly Genger’s “Red, Yellow and Blue” (2013) at Madison Square Park
(2013年5月2日〜9月8日まで)

Red, Yellow and Blue (2013)

Red, Yellow and Blue (2013), Orly Genger


2013年5月には、オルリー・ジェンガー(Orly Genger)(※1)による『Red, Yellow and Blue』が展示された。作品タイトル通りに赤、黄、青といったカラフルな彫刻的インスタレーション作品だ。公園全体に海の波のようにうねる140万フィート(約426.72km)のロープが創る造形で、マンハッタンのほぼ20倍の長さに及ぶ再利用のロープが使用されたというから驚きだ。3500ガロン(約13,230ℓ)の塗料を使い、完了までには2年以上かかったという。ここでの展示が終わる9月の後は、ボストン郊外にある『deCordova Sculpture Park Museum』に移設される。

作品のそばで憩うニューヨーカーたち

作品のそばで憩うニューヨーカーたち


『Red, Yellow and Blue』は、季節の花々に彩られ緑の木々に覆われたこの公園の中に“上質な介入”をし、公園の景観を鮮やかに変質させている。
解説によると、この作品タイトルである、Red, Yellow,Blueは単に作品の色を表わしているのではなく、「カラーフィールド・ペインティング」でその名を知られるバーネット·ニューマンによる1960年代後半のシリーズ作品『Who’s Afraid of Red, Yellow and Blue?』からヒントを得ているという。ジェンガ—は、リチャード·セラやフランク·ステラのミニマルリズムの伝統を踏襲しつつ、かつ彼女自身の美学を追求しているようだ。
加えて、作品素材であるロープを“編む”という行為は、どこか親密でドメスティックな女性性を感じさせ、女性の表現の一つであった手芸の伝統を思い起こさせる。しかしその一方で作品のスケール感やモノリシックな表現は“男性的”で揺るぎのない構造を同時につくりだしているといえるだろう。

Red, Yellow and Blue (2013)

Red, Yellow and Blue (2013), Orly Genger


(※1)オルリー・ジェンガー Orly Genger(1979〜)
ニューヨーク市ブルックリン在住。2001年ブラウン大学から学士号を取得、2002年シカゴ・アート・インスティテュートで学ぶ。



(文:Yasuyo Kudo)

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光を共有するということ。
オラファーエリアソンの「Little Sun」プロジェクト

3331を照らす「Little Sun」
Photo: Art & Society Research Center


デンマーク生まれのアイスランド人アーティスト、オラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)は「光」を自己の表現に取り入れてきた。
ロンドンのテイト・モダンで2003年に展示した「ウェザー・プロジェクト」では、鬱屈なロンドンの曇天にウンザリしているロンドン子へのプレゼントであるかのように、美術館の入り口となっている吹き抜けのターバイン・ホールに巨大な太陽を再現したインスタレーションを作り出し、一躍世界の注目を集めた。

Olafur Eliasson, The Weather Project
© Olafur Eliasson, Photo © Tate 2003


そしてオリンピック・イヤーとなった2012年のロンドンで、今度は手のひらに乗る程の小さいサイズになった太陽でこの街を照らした。オリンピックと併催された文化振興プログラム「ロンドン2012フェスティバル」に招待されたエリアソンは、新しいプロジェクト「Little Sun」を、2012年7月28日にテイト・モダンにて披露した。
(オリンピック憲章では、開催国はオリンピック開催期間中に文化的なイベントを開催することが求めている。2012年には、イギリス全土で12000個のイベントやパフォーマンスが、実に2万5千人もの世界中のアーティストが協力して各地で開催された。)

この「Little Sun」プロジェクトで、エリアソンはエンジニアのフレデリック・オッテセン(Frederik Ottesen)と協力して、その名が示す通り太陽を模した形のソーラー発電式ライトを2年がかりで開発した。このライトの機能は極めてシンプル。5時間の太陽光発電による充電で、夜間の照明として利用でき、3年ごとのバッテリー交換で最大20年は使用できる設計となっている。光源としてLEDを利用しており、明るさも申し分ない。大きさも手のひらに乗るサイズで持った感触も心地よく、誰にでも優しいデザインになっている。

そしてこのプロジェクトで注目すべき点は、「光」に強い関心を抱いて作品をつくり続けてきたエリアソンのアート作品であると同時に、ソーラーライトを世界中で販売するビジネスプロジェクトであり、そして日常的に電灯設備が整っていない地域に住む人々に「光」を届ける慈善事業でもあるということだ。

Olafur Eliasson and Frederik Ottesen, Little Sun, 2012
Photograph: Merklit Mersha


現在、世界では16億人の人々が電気にアクセスできない地域に住んでいる。これは世界人口の5人に1人は電気のない生活を送っていることになる。都市のように電力インフラが整っている地域では夜もスイッチ一つで部屋を明るくできるが、電力のインフラがない地域の人々は、灯油ランプを光源として頼らざるを得ない。燃料である灯油の価格高騰やランプの煤による健康被害(灯油ランプを一晩利用すると、一日に煙草2箱分を喫煙するのと同等の影響を受ける)など多くの問題を抱える灯油ランプは決して理想的な光源ではない。

先日ハリケーン「サンディ」の被害に見舞われて、暗転したマンハッタンを空撮したニューヨーク・マガジンの表紙が記憶に新しいが、福島第一原子力発電所の放射能放出事故から続く電力エネルギーの問題に象徴されるように、電力と明かりが生活にもたらす影響は大きい。スイッチ一つで明かりがつくことが当たり前になっている先進国に住む我々にも、電力エネルギーの在り方を改めて考え直すことが必要だ。
しかし、電力エネルギーは人間の生活に必要不可欠なインフラであるが、世界にはそもそも電気にアクセスすることもできない人々もいる。エネルギーの不均衡さが存在していることは、憂慮すべき大きな事実だ。

この電力エネルギーの不均衡な現実に対して、エリアソンが疑問を抱き美術作家として作り出したのが「Little Sun」だ。「人々が限りある天然資源を持続していく生活を続けていく為に何が必要なのかを再び考え直し、これから話し合っていく必要があるのではないか」とエネルギーの問題に対してアートの観点から提言している。

Olafur Eliasson and Frederik Ottesen, Little Sun, 2012
Photograph: Studio Olafur Eliasson


このプロジェクトでは、2013年までに50万個のライトを電力のない地域の人々に届け、2020年までに5000万個のライトを流通させることを目指している。エリアソンは、「Little Sun」によって、より安全で明るい、健康被害のないクリーンな光を得ることができ、子供は夜の時間でも教育の機会を得られ、大人も夜も仕事を続け生活に必要な収入を増やすことができ、彼らの生活が向上されることを期待している。

このライトの価格設定は2通りになっていて、電力インフラが整っている地域では€20で、電力にアクセスできない地域では$10で販売される。この価格差で電力インフラが整っていないエリアでも安く流通させることが可能となっている。$10という価格はバッテリーの交換が必要となる3年間の利用でも、灯油ランプよりも90%も安く費用を抑えられる。

電力エネルギーと明かりは、暗くなっても安心できる生活だけではなくて、現代までに人々の様々な活動を支えてきた。我々の祖先が火を洞窟に持ち込みその明かりで原初の美術である洞窟壁画を描いたように、明かりがあってこそ視覚芸術が常に発達し続けてきている。光と人間は決して損なわれない強い絆で結ばれている。

現時点では「Little Sun」はヨーロッパとアメリカにのみ発送となっており、アジアへの発送開始が待たれるところだ。時期がきたら、ぜひこのライトを購入してプロジェクトを支援してほしい。日が暮れてもスイッチを押せば明るくなる便利な現代社会、もう一度日々の生活における電力エネルギーと光の在り方を考え直すきっかけにしてみてはいかがだろうか。

Olafur Eliasson with Little Sun
Photograph: Tomas Gislason, 2012


「Light is for everyone ー 光をみんなのもとに」
美術館やアートの枠組みから飛び出し、オラファー・エリアソンの光は世界中に広がっていく。「Little Sun」プロジェクトは、光を使って人々の知覚的な興味を刺激するような視覚芸術を常につくり続けてきた作家らしいアプローチだ。この長期的なプロジェクトはまだ始まったばかりだが、エリアソンの光は、これから我々をどこに導いてくれるだろう。

Little Sun
http://www.littlesun.com

(執筆:井出竜郎)

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国際シンポジウム 地域・社会と関わる芸術文化活動のアーカイブに関する
グローバル・ネットワーキング・フォーラム

GLOBAL Networking FORUM

GLOBAL NETWORKING FORUM
Archives for Cultural & Art Activities related to Social Environment
国際シンポジウム
地域・社会と関わる芸術文化活動のアーカイブに関するグローバル・ネットワーキング・フォーラム

2013.2.13.WED 18:00-21:00
会場_国際交流基金 JFICホール「さくら」

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P+ARCHIVE レクチャー&ワークショップ2011「実践 アート・アーカイビング」参加者募集

P+ARCHIVE レクチャー&ワークショップ2011「実践 アート・アーカイビング」

「実践:アート・アーカイビング」は、アート・アーカイブへの理解を深めるためのレクチャーや、文書管理の基礎的なスキルを学ぶ連続ワークショップを通じて、アート・アーカイビングにかかわる実践的な人材育成を目指します。
そこで、この度レクチャー、ワークショップへの参加者を募集いたします。
アート・アーカイブに関心のある方、学生、NPO関係者、アーティスト、アート活動に関心のある方どなたでも参加できますので、ご興味のある方はお気軽にご応募ください。
先着30名の募集となっていますのでお申し込みはお早めに。

→詳細、応募フォームはこちらから

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デジタル・アーカイブ公開のお知らせ

デジタルアーカブ
国内外の「地域、社会に関わるアート」の関するプロジェクトの基礎データを紹介しはじめました。プロジェクト名、作品タイトル名、アーティスト名などで検索ができます。

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アンドレア・ジッテル インタビュー / ハイデザート・テストサイトの軌跡

磯山智之

ロスアンジェルスから東へ約220キロ、フリーウェイ10号線から分岐した62号線は、北へ向かい一気に高度を稼いだあと、ジョシュアツリー国立公園の北端を縫うように東進する。南側には海抜150mから1500mに跨がる国立公園の砂漠の奇観が続く。アンドレア・ジッテル1主催の『ハイデザート・テストサイト』(HDTS)は、このフリーウェイに沿って点在する砂漠のコミュニティを舞台にした壮大なアート・プロジェクトである。恒久的な作品の設置だけでなく、毎年夏には期間限定の展示やイベントも数多く行われ、地元には現代美術のひとつのありようとしてすっかり定着した。

しかし、HDTSを体験するのは容易ではない。一番西のサイトから一番東のサイトまで直線距離で80キロ以上、すべてを見ようとすれば2日あってもたりない。ましてや、いくら地図があるといっても、目印の少ない灼熱の砂漠で目的のサイトに一発で辿り着くなんて不可能に近い。行ったり来たり、砂漠の只中で道に迷うこともHDTSの醍醐味である、とアンドレア自身も言っている。

2000年にジョシュアツリーに住居を構えて以来、アンドレアと友人達とともに私財を投じて近隣の土地を購入し、アーティスト達に表現の場を提供してきた。何が彼女を突き動かし、何を彼女はこの砂漠の酷い照り返しの下で見てきたのだろう。七年に亘るHDTSの活動をアンドレアに振り返ってもらった。

Allen Compton (from HDTS 3) / Photo credit: none

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未建築な建築/この未完なものの素晴らしさ

藤原惠洋 (九州大学大学院芸術工学研究院教授・建築史家・工学博士)

1.プロローグもしくは建築の省察への径(みち)
2.小屋への偏愛
3.津久見市のミカン小屋との邂逅
4.ミカン小屋の建築性
5.ミカン小屋の成立の背景
6.今和次郎の感受性で
7.建築の初源へ

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長澤伸穂「隠された宝探し」 インタビュー

現在、アジアン・アメリカン・アーツセンターで学生と共に「隠された宝探し」と称した企画を展示中の長沢伸穂さん。各々が「発掘調査」したチャイナタウンにまつわる宝物語りを、多様に視覚表現し、コミュニティーとの関わりの中で展開する。小柄で華奢そうな印象とは対照的に、世界を舞台に制作活動を行うエネルギッシュな活動派。本展を機に、彼女のアート、これからの抱負について語ってもらった。

長澤伸穂「Her render」, アラブ首長国連邦、シャルジャ・ビエンナーレ(2003年)

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NYにおけるパブリックアート非営利団体の活動報告

アジアン・アメリカン・アーツセンターで学生と共に「隠された宝探し」と称した企画を展示中の長沢伸穂さん。彼女のアート、これからの抱負について語ってもらった。

2003年冬、NYを拠点に活動する2つのパブリックアートの活動を含めた非営利団体ついて簡単に話を聞く機会がもてたことから、レポートしていく。一つは、昨年夏、NYロックフェラーセンターに村上隆の彫刻をしかけたことが記憶に新しいNYを拠点にパブリックアートのコーディネートをしている非営利団体Pblic Art Fund(以下PAF)。もうひとつは、日本に進出しているアメリカ企業およびアメリカに進出している日本企業からの寄付から成立つ非営利団体Japan Societyである。

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Graffiti Behind the Wall-塀の中のアーティストたち

ニューヨークにおける2つの非営利芸術団体「パブリックアート・ファンド」、「ジャパン・ソサイエティ」の報告。

2003年も大詰めの忙しい時期に、無理を言って写真家デニス・コールウッドと陶芸家ケイコ・フカザワ夫妻の自宅を訪ねた。お手製のグラフィティシャツを身にまとった2人に案内され家の中に入ると、何ものかわからない力に圧倒された。リビングやダイニングのあちらこちらに彼らの作品が並べられている。壁には写真とグラフィティのコラージュ、床には青や白、黄色を基調とした大皿や壷がある。鑑賞するうちに、そのひとつひとつがコラボラティブ・ワークであり、その作品に関わった一人一人の存在感が全面に溢れ出ていることに気付いた。これだ!と思った。こんなにも力強いアートワークに出会うのは久しぶりな気がする。そしてそれらは、いわゆる道を外してしまった若者たちとデニス、ケイコとのアーティスト対アーティストとしての真剣勝負なのだ。

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