S.O.S.レポート「オルタナティブ・スペースが還るとき」

ツアー当日、出発場所となっていたアートラボはしもとではS.O.S.のメンバーによる関連企画「SOMETHINKS Planning by ARTISTS」展が開催されていた。

ツアー当日、出発場所となっていたアートラボはしもとではS.O.S.のメンバーによる関連企画「SOMETHINKS」展が開催されていた。


「オルタナティブ・スペース」という言葉をあちこちで聞くようになって久しい。一見すると定義がし難いように見えるが、例えば千代田アーツ3331のように、ひとつの場を展示スペースとしてはもちろんのこと、講演会やワークショップ、そしてオフィスや地域住民の集会所など、表現活動に派生した様々なアクティビティを行う場と考えて良さそうだ。
 今日、このようなオルタナティブ―すなわち多様な芸術表現を受け入れるための場は、アーティストのみならず市民をも巻き込んで、「アート」の既成概念を拡張する土壌となりつつある。見る/見られる者、表現する者/それを支える者といったあらゆる境界を統合しつつ、時には祭事的な色を湛えながら、オルタナティブ・スペースは開かれた場として芸術と一体化しているのである。
 言うまでもないことだが、表現の場をめぐる格闘は20世紀の芸術を語るうえで重要な位置を占めてきた。戦後、物理的・制度的制限のあるホワイト・キューブを踏み越えたアーティストたちが新たな表現の場を模索し、そのムーヴメント自体が社会やコミュニティを生成する役割を担ってきた。例えば、2000年代初頭から日本各地で開催されるようになったアートフェスティバルという形式は、その系譜を受け継ぐムーヴメントと言ってもいいだろう。とある場を舞台に、作品を介して人と人が出会い、関係性を構築する。作品は一連のプロジェクトの仲介役としての役割を果たし、作品鑑賞を含めた「その場での体験」そのものに価値が見いだされる。ニュートラルかつ“鑑賞体験の純粋性”1を志向したホワイト・キューブから、オルタナティブあるいはサイトスペシフィックな場、そしてそれをもとにしたヒト・モノ・コト間の関係性の構築へ————。このような変遷を踏まえて、以下改めてアートと場の関係性について考えてみたい。というのも、先日伺った相模原のプロジェクトが、この文脈において新たな表現の場の「見方」を示唆しているように思われるからである。
 SUPER OPEN STUDIO(通称S.O.S.)は、神奈川県北部の相模原で活動するアーティストのアトリエを一般に公開するプロジェクトとして、2013年にスタートした。その制作から展示に至るまでの包括的な活動を作り手自らが組織するムーヴメントとして注目を集めている。アーティストの制作現場における展示というと、例えばヤン・フートが1986年に行った「シャンブル・ダミ(Chambres d’Amis:友人の部屋)展」が挙げられるだろう。ベルギーのゲント市の家々を舞台として、フートと面識のある国際的なアーティスト51人がそれぞれの家で制作・展示を行った画期的なキューレーションである。期せずしてこの展覧会は地元アーティスト主催の展覧会を誘発する効果を生み、オルタナティブ・スペースの代表例として知られることとなった。言わばキュレーターがアーティストの自主展覧会の起爆剤としての役割を担ったわけである。
 一方、S.O.S.は相模原に拠点を持ったアーティストが、日頃制作の行われている“実際の”アトリエ(S.O.S.ではスタジオと呼んでいる)を舞台に、キュレーターではなく“彼ら自身の手によって”企画・運営が組織されているという点で、前者とは一線を画している。昨今はTAV GARELLY2やART TRACE GARELLY3など、若手アーティストがひとつの場を基盤として活動するオルタナティブ・スペースが増加しているが、S.O.S.もその一例と言えるだろう。どれも展示活動に派生したアクティビティを、資金調達・運営手法の確立等によって実現可能にしている先例である(左記の過程は、アーティストが自律し、その表現の独立性を保持するためには欠かせないことは言及するまでもない)。
 今回、秋季に開催された「スタジオビジット・ツアー」に参加し、計9か所のスタジオを巡った。インターネットで応募した参加者が貸し切りバスに乗って、1日をかけ各スタジオを巡るというプロジェクトだ。今年度S.O.S.に参加しているアトリエは23組、アーティスト数は述べ110人を越える。相模原市の事業として運営されていた2年間を経て、S.O.S.は2015年からアーティストによって組織された団体「Super Open Studio NETWORK」がセルフオーガナイズしている。ツアー参加者は、美術大学に通う大学生、キュレーター、美術愛好者等で、なかにはアメリカのアートフェアから来たという関係者もおり、実に幅広い。貸し切りバス車内の程よい緊張感は、コーディネーターの久野さん(作家であり、「studio kelcova」のメンバー)のお話を聞くうちに和気藹々とした雰囲気に変わり、ツアーは終始和やかなムードで進行した。

 相模原は政令指定都市として県内で第3位の人口を有し4、東京都南部との県境に位置するベッドタウンである。関東有数の米軍施設拠点・工場地帯として、また多摩美術大学、東京造形大学、女子美術大学、そして桜美林大学が群立する文教地区としての顔を持ち合わせるこのエリアは、3,40代がその人口の基盤を占める5。その一成員であるS.O.S.のアーティストは、先述した大学の卒業生が多く、それに派生したコミュニティを形成しているようだ。彼らは閉鎖された工場の建物などをスタジオとして再利用し、制作を継続している。衣食住を共にするところもあれば、制作のみ、作品の収蔵庫として使用する人もいるが、ビジネスライクな関係というよりは、たまに食事を共にする友人のような(もちろん家族のようなところもあった)、程よい距離感が構築されているように見えた。

セクシュアリティをテーマにした長尾郁明氏の作品(TANA Studio にて)。ポルノビデオの女性器のイメージをグリッドに還元している。

セクシュアリティをテーマにした長尾郁明氏の作品(TANA Studio にて)。ポルノビデオの女性器のイメージをグリッドに還元している。


 久しぶりに友人の家を訪ねるような気軽さでスタジオに案内されると、アーティストが茶菓子を用意してにこやかに出迎えてくれた。或いは、こちらに脇目も振らず制作に熱中するアーティストの横を、「目撃者」として通り過ぎる時もあった。総じて言えるのは、画廊や展覧会を見に行く時のような、「見る者」と「見られる者」という明快な境界線がないということである。或いは、非日常としてのキューブのなかで、「作家」や「作品」と対峙する時のような、どこか“特別な”演出も一切無い。彼らはただ「作品を作る人」として、そこで出迎えてくれる。メンバー同士では普段どんなことを話すのか、建物を改装した時のハプニングや、近所の人が差し入れを持ってきてくれたこと、買い出しが少し不便なこと、そしてその延長線上で制作に繋がる自分のエピソードや、作品に込めた思いが紡がれていく。驚くほど自然に、隣人としてのアーティストの本音を聞くことができるのだ。お互いが話し、耳を傾け合うことで、一人ひとりの作家と対等な距離感でコミュニケーションをとることができる。もちろん先述したように、関係者も来ているので、この機会を機に自分を売り込むこともできる。拠点は相模原としつつ、銀座などのギャラリーで発表をする者も当然いる。つまり、あくまで拠点を相模原に置くことのみが共有されているコミュニティなのである。S.O.S.の代表である山根一晃氏はステイトメントのなかで以下のように述べている。「様々なアーティストが異なる目的のもとに集い、同じような風景の下、同じような食堂でご飯を食べる。そして、この相模原という場所をハブとして、各々がめざすものの為にそれぞれが自らの意思と責任のもと動いていく」。6このように、スタジオという場を起点としたメンバー同士のゆるやかで独立した個人からなる連係が、また新たなアトリエ同士の連係を生み、それが地域住民との共同体へと円環状に波及しているのだ。
 当たり前のことのようでいて、とりわけ日本の社会では、このようなフラットな関係性のなかでアーティストと対峙することは難しかったのではないだろうか。昨今東京藝大の“特殊性”について取り上げた本が話題となったように、アーティストをどこか別世界の存在として、才能や独創性という言葉で区別してしまう傾向は、未だ確かに存在する。昨今のアートフェスティバルも、地域の持つ自然や建造物、温かな人間関係等とアートの共存を目標とする傾向にあるが、そこに展示される作品は“地域の魅力を引き出すことを目的としたアート”であることが多い。それらが良いか悪いかはさておき、あるテーマをもとに輸入されたキュレーション・プロジェクトであることには変わりない。その点、S.O.S.は、相模原という場を基盤として、まずアーティストがそこに拠点を置くことから始まっている。スタジオを構え、地域の人々と隣人として交流し、生活する延長線上に作品制作がある。アウトリーチの結果としてではなく、自然発生的なエンゲージメントの結果として、アートが緩やかに内在する共同体が形成されつつある。
「pimp studio」にて。自動車修理工場を改装したスタジオで、現在11人のメンバーが集う。

「pimp studio」にて。自動車修理工場を改装したスタジオで、現在11人のメンバーが集う。

 日本のアートプロジェクトは現在、2020年のオリンピックに向け発展の途にある。それは同時に、高齢化に伴う諸地域の過疎化、地方産業の衰退、あらゆる文化施設予算の縮小等、山積する問題の切り札としてのアートが推奨されていることを意味する。官民恊働や国際規模でのプロジェクトは、様々なアーティストを奮起させ上述した危機の打開策となる可能性を持つだろう。しかしその一方で、近現代で議論されてきた先導̶追従の垂直的な構図をなぞる危険を孕んでいることは、既に論じられている通りである。S.O.S.は、先述したステイトメントのなかで、彼ら自身の活動を「アートという場のインフラ整備」だと語っている。明確なオピニオンのもとに集った集団でもなければ、地域おこしのためのプロジェクトでもない。ただひたすらに、異なるアジェンダを持ったアーティストがひとつの場に共存し、静かに、しかし着実に相互関係を構築しているのだ。元来共同体にとって、土地は彼らの“包括的な基盤”7であり、根ざす場なしにその継承は困難であった。土地を拠点とした生産活動を営み、その上で個人としての活動をも並行させる共同体は、中長期的なアートの“インフラ整備”を遂行させる上で重要なムーヴメントとなり得るだろう。その意味において、今日における表現の「場」との関わり方は共同体の命脈を左右する重要なファクターである。大地が肥沃に還るその時こそが、時代の起点となるのではないだろうか。
(文:高橋ひかり)



1 ホワイト・キューブ 現代美術用語辞典ver.2.0 http://artscape.jp/artword/index.php/ホワイト・キューブ
2 専属キュレーターがそれぞれのキュレーションによる展覧会を行うギャラリーとして2014年に始動。展示スペースのほかに、ワークショップやイベント等を行うLAB SPACEを有する。http://tavgallery.com
3 NPO「ART TRACE」を母体とした、両国にスペースを持つアーティストラン・ギャラリー。武蔵野美術大学OBOGの主要メンバーを主軸に、期ごとに参加メンバーを公募、展覧会を主に講演会やワークショップなども行われる。同母体の関連事業としては林道郎著「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」シリーズを出版するART TRACE PRESSなどがある。http://www.gallery.arttrace.org
4 神奈川県の人口と世帯 神奈川県ホームページ…http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f10748/
5 平成27年1月1日現在。…http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/toukei/20998/jinko/nenrei/index.html
6 『SOSBOOK 2016』, p4
7 大塚久雄著『共同体の基礎理論』岩波書店,2000年, p12

高橋 ひかり(Hikari Takahashi)
1995年生まれ。神奈川県出身。武蔵野美術大学芸術文化学科在籍。2014年より絵画制作活動を開始、アーティストランギャラリー・ART TRACE GALLERYにおける個展等7回の出展を経て現在 に至る。アートムーヴメントにおける共同体の自律性・持続性に興味を持ち研究をすすめる。

 

| |

「イカロスプロジェクト」 パリ郊外留置所受刑者との交流

La maison centrale de poissy

La maison centrale de poissy


イカロスとは、父、名工匠ダイダロスの作った蝋で固めた鳥の翼によって空を飛び、迷宮(ラビリンス)からの脱獄に成功したものの、一緒に飛び立った父の忠告を聞かず、太陽に近づきすぎて蝋が溶けて墜死したギリシャ神話の人物です。

昨今の過剰とも思える資本主義と急速なグローバル化変遷の中で、イカロスの問いかける意味、迷宮(ラビリンス)の意味する事はあたかも現在の世界動向を象徴するようで、また、目の前の共同体の中にもそれが存在するがの如くに思えます。

2015年1月、「イカロス」と命名された受刑者とのプロジェクトは、フランス人作家ジュリー・ラマジュ(Julie Ramage)と共に始めました。
彼女はパリ郊外ポワシー刑務所での講師をパリ第7大学人文学社会学リサーチの一環として始めたばかりでした。ジェンダー問題を通し、傷や痕を彷彿させる写真作品を発表していた彼女は、私が行ったパリでの展覧会の出会いから、作家間での共通認識を通して交流していました。
私は、版画における複製品としての役割を消費文化というコンテクストからとらえ、社会と記憶の関わりを考えて活動していました。2014年秋、そんな活動に興味をもったラマジュは私に共同製作を提案してきたのです。

彼女はこの受刑者とのイカロスプロジェクト制作にあたり、アントナン・アルトーの作品を通して、人間や社会における、”傷”、”痕”、”記憶”を問い、またミッシェルフーコーの文献よりライティングワークの概念を提起し、肉体的、精神的、規律と強さ、客観的観察と主観的知覚の混合を通して、社会に問題提示を試みようと投げかけました。そして、この講義を作品として刑務所内と外で発表する事でソーシャリー・エンゲイジド・アートを試みようと考えていました。
留置所の参加者は十数名で各々のテーマをもとにコラージュや、詩、デッサンを提出しました。

私は彼らの作品を銅版画の特製を生かし、厳密にトレースする事で作品のオリジナリティーをフィルタリングし、版に刻まれる“傷”や“痕”、思想を記憶媒体の一つの出来事として複製化出来るのではと提案し、また受刑者本人の作品と特定されない方法で、外部とコミュニケーションする効果を見いだせるのではないかと提案しました。

アトリエでの版画製作過程

アトリエでの版画製作過程


このプロジェクトに参加する前提で、自らに問わなければならなかった事の一つに、移民としてフランスに生きる自分の所在でした。そして現実と非現実を横断するシャーマニズムのような“業”的なものを思い描きました。また、日本の裁判による死刑制度とヨーロッパの終身刑制度を通して”近代社会の共同体と倫理観とは?”との視点を思考する機会でなければと思いました。

受刑者達が刑を執行されている保護期間において、更生し再度社会活動を営む為には社会的規範を学ぶ経験と教育が必要とされます。
ただ、昨今のフランスの社会状況を考慮しても受刑者の70%弱(多くがアフリカ、マグレブ系によるイスラム教徒という事です。)が移民出身であり、その問題から来る差別感覚、貧困化、教育の行き届かない現実が犯罪への温床を生み出すとみなされていました。ひいてはフランスのテロ活動を起こしたと言えるイスラム原理主義者は、刑務所内で偏ったコーランの解釈を学び、改宗されていったという報告もなされています。
(まさにこの共同プロジェクトの制作中、アトリエから2ブロック離れた場所でシャルリーエブド襲撃事件は起きました。)

共同作業の中で特に意識した事は、受刑者の身元が特定されない事、そして全ての表現イメージは刑務所の秩序が失われない範囲に限り管理され、刑務所を司る法務局の認可を受ける事でした。一般的に自由であるはずの芸術的表現において、管理下の中で表現を考える緊張感は、とても興味深く貴重な体験でした。

2016年1月、パリ第7大学敷地内にあるベトンサロン(Bétonsalon Centre d’art et de recherché)にてイカロスプロジェクトを発表する機会が訪れました。当日は大学教授そして生徒達を含めて一般の来場もあり、作品を前に多くの意見交換を持てたのではと感じています。
ただこの展示には多方面からの問題提示をしつつも、筆跡心理学(graphology)的見地、災害心理学(désastre)、現在の社会構造や、そこから排除され、再度社会の中へ帰還する法治国家的義務を体現し考察する機会を意図したものだけではありませんでした。
何よりも体験とその経過で生じた物質(substance)を一般社会に投げかけ、そして、そこへの思考過程を共有し、人間と社会の成熟を求める事こそ、社会とアートが切り離せない関係を持っている証とされるのです。

Bétonsalon-centre d'art et de rechercheでの展示会風景

Bétonsalon-centre d’art et de rechercheでの展示会風景


ベトンサロンで発表した作品は、2016年3月、刑務所の中へとステージを変え、展覧会の準備を始める事になります。まずは身分証明書の提出と、留置所へ搬入する全てのリストを事前に提出する事から始まりました。
展示会当日、刑務所敷地内へアクセスするにあたり、8メートルはある高い壁の関係者専用鋼鉄扉が開門され、緊張と好奇心の中で準備を始めました。刑務所の中へアクセスするには、搬入物とそのリストの照らし合わせ、金銭、通信物の厳重なチェック、数回に渡るセキュリティ刑務官の監視の下、錠前の開かれた鉄柵を通過します。私達に準備された場所は、思い描いていた視聴覚室のような一室ではなく、留置所の体育館でありとても広い特殊な環境にありました。

当日、イカロスプロジェクトに参加した受刑者は外部から3人までの身内を招き入れる事が出来、また、この企画に携わった大学側の生徒も十数名参加する事が許可されていましたので、総勢70人弱が参加する事になっていたのです。全ての設置準備を終え、数人の監視員が見守る中、体育館入り口から続々人が現れるのですが、全員が私服姿だったため誰が受刑者なのか最後まで見分けがつきませんでした。
ワークショップが始まるとすぐに、一人の男性が微笑みながら私に近寄り話しかけました。
「君が版画を作った人だね、前々から思い描いていた人で、会いたかった。」
日本人が一人だったため、数人が敬愛の目と珍しさで声をかけてくれました。また、当日はその街のボランティア達が手作りのケーキ、ジュース、コーヒーの差し入れを持ってきてくれ、交流に相応しい和やかな場を提供してくれました。数時間によるこのワークショップでは様々な外部市民、受刑囚、監視員との交流がありました。

版画の原盤を貼付けた鉄の本とトレースした痕の残るカーボン紙の標本オブジェ

版画の原盤を貼付けた鉄の本と トレースした痕の残るカーボン紙の標本オブジェ


特に私にとって印象深かった事は、今でも解読する事が出来ないアラビア風文字で書かれたフランス語の詩を一人の受刑者らしき人から頂いた事でした。
「これは、日本の奈良の大仏を想い書いた物だ。君に渡す為に持って来た。」
数十枚に重ねられたカラフルな A4サイズの紙の中から、一枚を引き抜き私に手渡してくれました。その受刑者は毎日のように詩を書き残すことで、日々満たされているように私には写りました。

このプロジェクトを通して感じた事の一つに、歴史、人、記憶とは伝え、伝わる事で存在し、アートも技術もコミニュ二ケーションをとる事で存在しえるということ。そして、問い続ける事こそ、存在の意義と責任なのではないでしょうか。

受刑者とのコラボレーションによる銅版画作品

受刑者とのコラボレーションによる銅版画作品

(文: 伊藤 英二郎)
Projet conçu et dirigé par Julie Ramage – Avec la collaboration de Eijiro Ito, graveur, Bruno Héloir-Sanchez, artisan métallier, Joffrey Guérin, graphiste, et des étudiants détenus de la Maison centrale de Poissy
Julie Ramage
Eijiro Ito
Bétonsalon-centre d’art et de recherche

伊藤 英二郎 (Eijiro Ito)
1971年岩手県一関市生まれ 。1995年渡仏。版画における複製品としての役割を消費文化というコンテクストからとらえ、社会と記憶の関わりを考えて活動。
現在は写真から得られたイメージを版へ落とし込み、そこへインクを刷り込む版画製作行程によって生み出されるマチエールに近い作品を制作の主としている。

| |

オルタナティブ・スペースが “オルタナティブ(代替)”ではなくなるとき

近年、東京をはじめとする都市部よりも自然豊かな地域へ移住したり、将来的に移住を考えているという若者が増えているという。(1
こうした傾向は、例えば東日本大震災以後人々の関心が資本主義における消費活動だけではなく、より心理的な豊かさを求めて自らの生活を構築し始めているという表れなのかもしれない。
一方で国内の現代アートでは特に2000年代以降、アートプロジェクトも盛んに行われるようになり、近年各地で開催される国際美術展もその潮流のひとつと見ることができる。これらを一概に関係付けることは難しいかもしれないが、美術館やギャラリーから離れてサイトスペシフィックな場でアートを鑑賞する、またはそうした活動自体に関わるという経験は、上述のような都心を離れた地で生活を築こうとする志向とどこか重なるのではないだろうか。
さかのぼれば9.11を皮切りにグローバリズムに対する懐疑の念が高まり、自国に眠る土着的な文化を再構築しようとするナショナリズムが再考されているとも言える。そして現在私たちが置かれている状況を受け止め、画一的な経済的成長ではなく柔軟にその規模を縮小させることで“量”から“質”へシフトしていくことは次代を担う人々にとっての課題なのかもしれない。(2

現在のオルタナティブ・スペース
美術において鑑賞の場が美術館やギャラリーといったいわゆるホワイトキューブを制度批判的に脱した例としては欧米では1960年代のランド・アートなども挙げられる。国内においては美術のみならず社会システムに対するアナーキーな文化動向として1950年代からはじまる野外美術展などの傾向も参照できるだろう。(3
そして自らの手で作品発表の場を立ち上げていく動きもある。1969年からマンハッタンのグリーン街にアートコレクターの支援を受けて始まった「98 GREENE STREET」は、アンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズ、ゴードン・マッタ=クラークなど、様々なアーティストたちが交流する場となっていた。更にマッタ=クラークは1971年にソーホーで数名のアーティストと共に「FOOD」というアーティストランのレストランをオープンする。(4 このように美術館や画廊など既存の制度にはとらわれない多用途なスペースはオルタナティブ・スペースと呼ばれ、実験的な活動を支援する場となった。
そして欧米を出自としながら日本でも様々なオルタナティブ・スペースが誕生した。代表的なものとしては、多くの若手アーティストに発表の機会を提供した「佐賀町エキジビット・スペース」や、美術のみならず演劇や音楽などジャンルレスに活動を行う「BankART1929」などが挙げられるだろう。
更に美術評論家の福住廉はオルタナティブ・スペースの大きな特徴として、そこがアーティストにとってのある種のたまり場になっていることを指摘している。(5

ここでは比較的新しいオルタナティブ・スペースをいくつか取り上げてみたい。
後述することではあるが、これらを広義にオルタナティブ・スペースと呼ぶことはできるものの、その形態や運営者の認識は様々であるということは予め断っておく。

ナオナカムラ

(左)天才ハイスクール!!!!展覧会「GenbutuOverDose」撮影:森田兼次 (右)笹山直規+釣崎清隆展覧会「IMPACT」撮影:酒井透

(左)天才ハイスクール!!!!展覧会「GenbutuOverDose」撮影:森田兼次
(右)笹山直規+釣崎清隆展覧会「IMPACT」撮影:酒井透


1990年生まれの中村奈央がディレクターを務めるナオナカムラは高円寺にある「素人の乱12号店」スペースにおいて、これまで不定期ではあるがキュンチョメや中島晴矢など有望な若手アーティストの個展を開催してきたギャラリーである。整備されたホワイトキューブではなく既存のビルの一室にオープンするナオナカムラだが、空間的な問題を物ともせずに骨太な展示ばかりだ。その多くの作品が半ばアーティストの個人史に依存している印象を受けるが、それは彼ら自身と向き合い続けるディレクター中村の熱意の現れでもあり、作品とじっくり対峙させてくれる時間を生み出すギャラリーの色なのかもしれない。

TAV GARELLY

写真提供:TAV GALLERY

写真提供:TAV GALLERY


TAV GARELLYは、アーティストではなく、キュレーターが所属するギャラリーとして2014年にオープン。展示におけるギャラリーとアーティストの関係性にキュレーターという存在を介入させることで、より多角的なアプローチを考察していく実験的な場となっている。それ故に従来のコマーシャルギャラリーでは難しいような展示形態や、発表の機会を得にくい若手作家などを積極的に巻き込んでいる。こうした試みを可能にしているのは、TAV GALLERYはギャラリー経営会社が所有するビル1階に入居しており、2階から4階がペアレンティングホームとなっていることで、作品販売に依存しない運営システムを築いていることも大きい。

カタ/コンベ

撮影:新井五差路

撮影:新井五差路


中野にあるカタ/コンベは2012から始まった若手アーティストが集うシェアアトリエである。通常は入居メンバーによるアトリエであるが、定期的にゲストアーティストを迎えた展覧会を開催。オートロックマンションの地下室というアクセスの難しさも感じるが、展覧会開催時には多くの人で賑わう。印象派やシュールレアリストにそれぞれ拠点があったように、作家活動を行う上で自分たちの場所が欲しかったことが現在の形式をつくりあげたきっかけだという。展覧会は週末の2日間しか開催されないため、多くの出展者もその場に集まることで濃密なコミュニケーションが生まれている。

あをば荘

写真提供:あをば荘

写真提供:あをば荘


墨田区にあるあをば荘は「墨東まち見世2012」に参加したアーティストユニット佐藤史治+原口寛子によるプロジェクト会場となったことをきっかけに、2階を住居としながら1階では展示やイベントを開催しているスペースだ。美術だけでなく多様なジャンルの運営メンバーが関わることで、演劇公演やクラフト販売など様々な催しを行っている。周辺地域といかに関係を築くかを重視しておりHPなどでの対外的なアピールでばかりではなく、ご近所付き合いの中でいかに創造的な活動ができるかを丁寧に実践している様子が伺える。

awai art center

写真提供:awai art center     (右)加藤巧個展「〜|wave dash」

写真提供:awai art center (右)加藤巧個展「〜|wave dash」


東京に数多くのオルタナティブ・スペースがある一方で地方の動きも見逃せない。今年の4月29日にこけら落としを迎えたawai art centerは古くなった民家をセルフリノベーションし、展示スペースの他にカフェなどを併設したアートセンターだ。松本駅から徒歩5分ほど、天神深志神社の参道に面しながらも人通りは穏やかな場所にある。松本駅周辺には松本市美術館がある他、雑貨店が並ぶ観光スポットなどもあり、季節によっては多くの観光客でも賑わうことだろう。さまざまな物事の間(あわい)に表現を開いていくことをイメージして付けられたという名が示すように、松本という地でいかに表現の場をつくるのかこれからの活動に注目している。

アートが立ち上がる場
一様にオルタナティブ・スペースという呼称で括っても、それぞれはギャラリーを冠していたり、住居を伴っていたりと様々である。ここで紹介したスペースでもオルタナティブ・スペースを自称するところもあれば、そこにアイデンティティを持たない場合もある。呼称についてはそれぞれのスペースのコンセプトによって様々であり、例えば「Art Center Ongoing」は意識的にアートセンターと自称している。(6
本来オルタナティブとは何かに替わってという意味であり、オルタナティブ・スペースとは、美術館や画廊などの制度に参入するのではなく新たな表現の場を指すものだ。仮にその発端が制度への批判であったとしても、それらは今や対立項や代替物としてではなく、若手アーティストの作品発表の場の選択肢であり、時にはアートプロジェクトの会場でもあり、スペースによっては美術館に劣らない入場者数を誇るなど十分な文化資源として機能している。
こうした胎動を敏感に察知するアーティストやキュレーターもいる一方で、多くの美術館学芸員やギャラリスト、大学教員などは展示を見に来ない現状に、Chim↑Pomの卯城竜太は「オルタナティブな動向とメインストリームはコミュニケーションを取って、新しくリアルなものを世界に発信すべき」と述べている。(7
この気運を意識したのか、最近ではオルタナティブという語が積極的に用いられる例も見受けられる。ゲンロンカオス*ラウンジ 新芸術校は教育方針を「まったく新しい、オルタナティブ・アートへ」と掲げ、2016年5月に開催される「3331 Art Fair 2016 ‒Various Collectors Prizes-」ではオルタナティブ・スペース主催者たちによる推薦者枠が設けられている。(8 (9 またLOFT PROJECTによるエンターテイメント・メディアRooftop内で連載の始まった現代美術家の中島晴矢による「オルタナティブ展評」は独自の方法で作品を発表する若手作家の展覧会を取り上げることを目指した展評だ。(10
オルタナティブは泥臭い抵抗の旗手としてではなく、アートが立ち上がる場を自ら作り上げるごく自然な方法のひとつであるのではないだろうか。裏を返せば自らこうした場を創り出さねばいけない状況だったとも考えられる。

オルタナティブ・スペースが死語になる時
過去にシェアハウスが寄宿舎として建築基準法の風当たりを強く受けたように、既存の制度が時代に適応せず生活スタイルなどと乖離していく過程では、規制や価値観に先攻して自発的にその志向を具体化していく必要もあるだろう。労働形態においてもひとつの仕事に従事するのではなく複数の仕事を掛け持ちすることで多角的なスキルを身に付けたり、万が一解雇などによって収入源を失った際でもリスク回避にもなるといった意識の変化が起こっている。
こうした事象は冒頭に挙げた東日本大震災に記憶が新しいように、日本という不安定な地の上では西欧に倣った歴史を積み重ねること自体に大きな障害があることを示唆してはいないだろうか。そんな「悪い場所」の上では全ては仮設ということを含意に考えるべきだろう。(11 これは決してネガティブな態度ではなく、全てが流れさってしまうことがある土壌の上をも軽やかに乗りこなす身体感覚を養うことだ。それは関東大震災直後に生活を再建する足がかりとして機能したバラックを生み出す感覚に近いのかもしれない。
また最近では空き家対策を含めて人口が減少する時代に対しシュリンキング・シティ(縮小する都市)という考えもある。これまでの都市計画にあるようなゾーニングではなく、小さな街の中でもスポンジの孔のように不規則に空いてしまったスペースに個々人の意思によって充実した機能を重ねていくという可能性をオルタナティブ・スペースに照らし合わせてみるならば、ハードを含めた既存の資源を活かして営まれるものが多く、近代的な経済成長に捕われない持続可能性が高い活動であると期待している。(12 これまでの文化施設や大規模なアートプロジェクトでは介入する隙間のなかった場所に分け入るこうした活動は、今後の文化芸術の担い手として重要な萌芽となるだろう。
現在オルタナティブ・スペースと呼ばれるものの多くが住居、アトリエ、カフェ、まちづくり、若手アーティストの発掘・支援などいくつもの要素を駆動させて乗りこなされる軽快なものだ。既にアートという文化領域も近代の限定的な制度だけでは成り立たずに多様化してきた中で、オルタナティブ・スペースがその領域の末端にあったならば、内部への批判的なまなざしを保ちながらもいくつもの要素を組み合わせて更に前進するとき、代替物という語義を超えた可能性を宿すのだろう。
それはオルタナティブ・スペースが死語になる時こそが死線を抜け出る瞬間なのかもしれない。

(文:青木彬)


(1 国土交通白書2016(http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h26/hakusho/h27/index.html)
(2 松村嘉浩.なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?.ダイヤモンド社
(3 加冶屋健司.「地域に展開する日本のアートプロジェクト—歴史的背景とグローバルな文脈」
『地域アート 美学 制度 日本』.堀之内出版.p104
(4 Lauren Rosati,Mary Anne Staniszewski.ALTERNATIVE HISTORIES
(5 http://artscape.jp/artword/index.php/オルタナティブ・スペース
(6 アートプロジェクト 芸術と協創する社会.熊倉純子(監修).水曜社.p92
(7 美術手帳.2015年5月号.美術出版
(8 http://school.genron.co.jp/gcls/
(9 http://artfair.3331.jp/2016/about/
(10 http://rooftop.cc/powerpush/cat4/151127190659.php
(11 日本・現代・美術.椹木野衣.新潮社
(12 都市をたたむ.饗庭伸.花伝社

青木彬(Akira Aoki)
1989年生まれ。東京都出身。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。在学中に「ひののんフィクション」「川俣正TokyoInProgress」などのアートプロジェクトの企画・運営に携わる。メインストリーム/オルタナティブを問わず、横断的な表現活動の支援を目指す。これまでの企画に「『未来へ号』で行く清里現代美術館バスツアー!」、「うえむら個展 ここは阿佐ヶ谷」などがある。現在はTAV GALLERYのキュレーターとしても活動中。
http://akiraoki.tumblr.com/

| |

街のなかで見るアート・プロジェクション

A&Sでは昨秋2015年10月にお茶の水アート・プロジェクション、アーティスト瀧健太郎氏による映像作品『Tea Corner』の企画運営を実施した。小規模なプロジェクトであったが、街なかでのアートシーンに新たな展開を期待できるものになった。
tea corner

『Tea Corner』の記録映像はこちら(約2分)

街のなか、屋外でのプロジェクションといえば、最近ではプロジェクションマッピングを思い浮かべる人が多いかもしれないが、このレポートでの“プロジェクション”とはプロジェクター機材を使って画像や動画を投影する表現のことを指す。
 
さて、ここ東京都心においては、屋外で映像を見ることに特に驚きを感じることは少ないと思うが、実際に屋外でプロジェクションを行うことに関わってみると、気づかされることが多々あった。
様々な関係者への調整準備の他、機材を置く場所、機材を雨風から守ること、電源が必要なこと等々。
そんな目で屋外の映像を改めて意識してみると、見られる場所は駅ナカや商業ビルの壁面に設置されているモニターなど、意外と限定されていた。
個人の携帯端末でいつでもどこでも、という映像を見る側の感覚と違って、屋外のプロジェクションはそこまで簡単ではないことを実感した。テーマパークや東京駅のプロジェクションマッピングのような大規模なイベントの裏には大変な労力とそのための費用がかかっているということも。
プロジェクターの性能が向上しているとはいえ、規模が大きくなればなるほど必要経費が膨らむことは避けられない。
 
作品のクオリティや表現内容とそれにかかる費用の間でジレンマを抱えることは、アート・プロジェクションに限った話しではないが、この現代のテクノロジーの発展に左右される映像分野では特に悩ましい問題かもしれない。
こういった問題は日本だけに限ったことではないようだ。たとえばアメリカでのあるアート・フェスティバルも同様な課題に直面し、18年間も続けてきたフェスティバルを終了することにしたという。

DUMBO Arts Festival
ニューヨーク、ブルックリンのダンボ地区で開催されていたアート・フェスティバル。
1997年にアーティストの草の根活動から始まり、2014年まで18年間続いていた。

artprojection

画像:dumboartsfestival facebookより
マンハッタン・ブリッジの壁面からトンネルの中まで一続きで映像を投影したプロジェクションマッピングの様子


訪れた誰でも無料で参加でき、街全体がアートに染まる3日間。年々規模が大きくなり、20万人以上の訪問者で溢れるまでになり、意に添わないコマーシャル活動なしには成り立たなくなっていったという。それゆえ残念ながらこのフェスティバル自体は終わりにし、ダンボ地区でのアートコミュニティがフェスティバル期間だけではなく年間を通して活性化するようなサポートを再考することにしたようだ。

もちろんニューヨークの街なかでアート・プロジェクションを楽しめる機会は、他にも色々とあることだろう。同じマンハッタン・ブリッジを舞台に「ニューヨーク・フェスティバル・オブ・ライト」※ が2014年の11月6日から8日の3日間開催され、予想以上の人で溢れたという。今年2016年に2回目がさらにパワーアップして開催される予定だ。

※「フェスティバル・オブ・ライト」はドイツベルリンでは2004年から開催されており、他にシドニー、リヨン、ゲントなど世界各地で開催されている。
 
もう一つ、アメリカはミネソタ州のアート・フェスティバルを紹介したい。
Northern Spark
「ニュイ・ブランシュ(白夜祭)」をモデルに、ミネアポリス/セントポールで2011年から開催されているオールナイトのアート・フェスティバル。
オーガナイザーはNorthern Lights.mnという非営利芸術団体。
年々来場者数、参加アーティスト、プロジェクトの数も増えているようだ。合わせて各年テーマを決めて運営している。
2016—2017年は「Climate Chaos | Climate Rising」というテーマを掲げ、COP21などでグローバルな問題として議論されている気候変動をとりあげる。2年にわたってこのテーマをめぐり、アーティストの新しいアイデアやクリエイティブなエネルギーを、市民が享受できるよう公共スペースを活用していくという。
この団体のウェブサイトではアーティストの言葉などとともにこのテーマに関する見解や調査内容が紹介されていることも興味深い。(参照ページ

artprojection

Luke Savisky, E/x MN, Mill Ruins Park and Gold Medal Silos, Northern Spark 2015. Photo: Ian Plant.
歴史的建造物へのプロジェクションの様子。
開催エリアの一つ、Mill Ruins Parkはミシシッピー川沿いにあり、小麦の製粉産業が盛んだった1870年代頃からの数々の遺構が残されている。


ウェブサイトにあるアルバムNorthern Spark’s albums|Flickrも充実しているので、眺めるだけでもアートの熱気が伝わってくる。

■「ニュイ・ブランシュ(白夜祭)」は2002年からパリで始まった一夜限りの現代アートの祭典で、世界中にネットワークを持ち様々な都市で開催されている。
例えばNuit Blanche Torontoトロントでの開催は2006年から始まり、徐々に規模が大きくなり(参加アーティストJRなど)近年は100万人の住人と20万人近い訪問者で賑わう。100万人というと隅田川の花火大会と同じくらいの人出だろうか。

日本でも京都市がパリの姉妹都市ということで、パリ市が行っているニュイ・ブランシュにあわせて2011年より毎秋開催している。隅田川の花火大会ほど一般に知られていないかもしれないが、映像アートを街なかで体験できる機会は増えてきている。

■「スマートイルミネーション横浜
同じく2011年より開催されている。横浜市が「新たな夜景の創造を試みるアートイベント」として、またその年の「3月に発生した東日本大震災を踏まえ、LED照明や太陽光発電など、これからの時代に不可欠となる省エネルギー技術の活用をテーマに」第1回が開催された。その後新たなテーマが加わり、エリアや作品数が拡大されながら続いている。参加体験型のインスタレーション、ワークショップや、歴史的建造物へのライトアップ、初回から参加しているアーティスト高橋匡太氏の作品などスケールの大きいアート・プロジェクションも見られる。

artprojection

たてもののおしばい『塔(クイーン)は歌う』髙橋匡太
「たてものに声と表情をあたえ、物語を生みだしていく作品。“クイーン”の名で称される歴史的建造物「横浜税関」が横浜への想いを込めて、来場者へ歌いかけます。」

artprojection

スマートイルミネーション横浜2015

artprojection

photo:Yasuyo Kudo

高橋氏は「六甲ミーツアート2015」や「あいちトリエンナーレ2013」など数々の芸術祭で、夜も楽しめるアートを登場させ、プロジェクションだけでなく様々な形で光を扱った作品を手がけている。

ところでここまでアート・フェスティバルや芸術祭といったイベントの中でのアート・プロジェクションを見てきたが、アート・プロジェクションをアート表現として取り組み、今やこの分野の大御所、クシシュトフ・ウディチコについて少し触れておきたい。

クシシュトフ・ウディチコ
1943年ポーランド生まれ。都市やそこに住む人々が抱える問題をテーマにした映像作品を公共空間や記念碑などに投影する「パブリック・プロジェクション」で知られる現代美術家。
ウディチコの日本で初めての「パブリック・プロジェクション」は1999年8月、広島の原爆ドーム前で行われた。このときウディチコは広島に住む被爆者、在日外国人など14人の証言者の原爆に関する発言を集め、声とともに彼らの手元だけを映像として原爆ドームの足下に投影するプロジェクトを行った。

artprojection

Krzysztof Wodiczko: Projection in Hiroshima
「プロジェクション・イン・ヒロシマ」
広島市ホームページ 特集「ヒロシマ賞」より


2001年横浜トリエンナーレに参加するなど、日本ともなじみ深く、今なお世界中で活躍している。
メキシコでの「ティファナ・プロジェクション」についてはソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)のポータルサイトSEAリサーチラボ(プロジェクト紹介)を参照していただきたい。

アーティストが独自のアートワークとして街なかでプロジェクションを実行することは、冒頭に述べたとおり段取りや費用の面で非常にハードルが高い。一方で様々な関係者との協働が生まれる場にもなり、不特定多数の人々へ作品が届きやすいという面もある。ウディチコが取り組み始めた頃よりもプロジェクターはずっと小型化して性能も上がっているという。
ではここでもう一度「お茶の水アート・プロジェクション」を振り返ってみたい。

瀧健太郎『Tea Corner』
お茶の水での『Tea Corner』は小規模ながら「お茶の水アート・ピクニック」というイベントの中での、ある程度は条件が整えられた中で行ったプロジェクトであったが、大掛かりなプロジェクションではなくても内容によっては十分に街のなかでアートを伝えることができるという手応えを感じた。

瀧さんは、例えば絵画には丸や楕円など色々なフレームがあるのと同じように、映像も四角いスクリーンの中だけではない表現方法があるのではないかと、ヴィデオというメディウムでの表現の可能性を探りながら活動を続けている。今回のプロジェクションでも四角いまま映像を投影するのではなく、ビルのコーナーに三角形に投影された作品であった。気がついてみると普段は三角形の映像を見る機会などなく新鮮な体験で、この発想の軽やかさがアーティストならではなのだと改めて感じ入った。それは奇をてらうこととは違って、街の歴史と空間を読み込むことによって生み出された作品はビルと街に見事に溶け合い、通りを行き交う人々がふと足を止めて一時を過ごす、その風景もまた印象深いプロジェクトであった。

瀧さんに街へ出るきっかけをお聞きしたところ、ヴィデオアート作品は鑑賞に時間を要するという性質もあり、美術館などへ足を運ぶ人の中でさえ鑑賞者が少ないらしく、もっと多くの人に作品を見てもらうにはどうすれば良いのかを考えるようなったということで、このお茶の水以前に阿佐ヶ谷や神楽坂の街などでも多彩な企画を行っている。

videopromenade-asagaya2015

「ヴィデオアート・プロムナードin阿佐ヶ谷wall to wall」
2015年2月20日(金)21(土)22(日)+27日(金)・28日(土)・3月1日に開催された。
[参加アーティスト] 浜崎 亮太 Ryota HAMASAKI / 韓 成南 Sung Nam HAN / 河合 政之 Masayuki KAWAI / 中嶋 興 Ko NAKAJIMA / 西山 修平 Shuhei NISHIYAMA / 瀧 健太郎 Kentaro TAKI / 山本 圭吾 Keigo YAMAMOTO ほかand more….
「住居や店舗や駐車場の一部といった街中の何気ない場所が、普段とは違う一時的なスクリーンやアートスペースに変わり、東京の都市空間の面白さや特異性を発見しながら、路上から世界に文化を発信してゆければと考えました。ヴィデオアートのパイオニア的な作品からアクティヴな新進の作品に至るヴィデオ・アーティストを紹介します。」

また昨秋2015年9月から都内の各所で開催されている「Interdisciplinary Art Festival Tokyo 15/16」という“分野横断的な”アートを紹介するイベントにも参加している。そこでの試みは『Tea Corner』とは全く別の手法で、渋谷にある会場からプロジェクターを抱えて街へ出ていき、会場のダンサー(踊り子)の映像を渋谷の街のあちこちに(ビルの窓や電柱やマンホール、人の背中などなどに)プロジェクションするという、反感を恐れずに積極的に無関係の人をも巻き込んでいこうとするパフォーマンスだった。

artprojection, taki

モバイル・プロジェクション・パフォーマンス
“V-climbing Highlines”
photo by Miyuki Iwasaki

artprojection, taki

渋谷の街なかから会場へ戻ってきた映写技師
photo: 筆者

これらの映像記録は瀧さんのウェブサイトKentaro TAKI official websiteで見ることができる。

この先、街のなかでアート・プロジェクションを見る機会は増えていくだろうか?バッテリーについても技術の開発が進んでいるらしいので、これまで電源を確保しにくかった場所においてもプロジェクションが可能になっていくかもしれない。いきなり壁に大きな映像を登場させ、電源を落とせば一瞬で消えるという映像表現の瞬発力には、アートを享受する人の幅、層を広げていく可能性がまだまだあるように思える。アーティストの活躍に期待すると同時にそのためのコラボレーターとの協働や、コーディネーターとしてのアート団体の役割ということに注目することも大切ではないだろうか。

(文:川口明日香)

川口明日香(Asuka Kawaguchi)
2011年11月よりNPO法人アート&ソサイエティ研究センター(A&S)で主にP+ARCHIVE事業のスタッフとして活動。2013年からA&Sのお茶の水でのアーティストによるイベント等開催の企画運営にも携わる。日本女子大学人間社会学部文化学科卒。

| |

現代アートが、千三百年の伝統と結ばれた。
公開空地プロジェクト2015 プロジェクトレポート

神田明神に奉納された「ハートフレーム」の基調色光:朱赤。 「♥」の赤でありながらも、神社建築の基本伝統色に馴染む色調である。

神田明神に奉納された「ハートフレーム」の基調色光:朱赤。
「♥」の赤でありながらも、神社建築の基本伝統色に馴染む色調である。


■ 現代アートが日本伝統の「習慣」、「場」と“engaged(エンゲイジド)”した日
2015年5月19日火曜日、大安。神田明神。
朝のうちぱらついていた小雨が止み、午後には、時折晴れ間ものぞく天気となった。今年の2月2日から3月14日の間、お茶の水駅前「お茶の水サンクレール」で行われた公開空地プロジェクトで誕生した作品“Heart Light Go-round(ハートライトゴーランド)”が、この日、化粧直しも整い、「ハートフレーム」となって境内に恒久設置され、「奉納式」を迎えた。今年で6回目となる同プロジェクトのエンドストーリーは、東京―神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様である神田明神(神田神社)への奉納、という、まさに、アートが、地域の歴史・伝統・営みと“engaged(エンゲイジド)”する「結び」となった。
神田明神というと、江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ江戸総鎮守の神社である。毎年、初詣の時期には、約30万人もの参拝客で賑わい、都内でも有数の初詣スポットのひとつとして知られているほか、秋葉原に近い、という立地特性から、最近ではアニメの「聖地」化、という現象も起きている。余談ではあるが、奉納式当日、我々の前の奉納者は、「妖怪ウォッチ」の関係者で、「ジバニャン」と「コマさん」の着ぐるみたちが神妙な面持ち?で祝詞に頭を垂れる姿は、なんともユニークな光景であった。
さて、奉納式は、奉納者、協賛社参列のもと、社殿内にて、神職が打つ太鼓の音とともに始まった。祝言葉奏上、お祓い、祝詞奏上、福鈴の儀、玉串奉奠(たまぐしほうでん)、権宮司様ご挨拶、と厳かに続き、約30分間の式で無事に終了、続いて、「ハートフレーム」前でのお祓いの義が執り行われた。作品を前に、奉賛者、関係者一同参列し、神職によるお祓いの後、今回の移設・奉納で大変お世話になった権禰宜(ごんねぎ)様による清め払いが行われ、お清め紙がちらちらと舞う中、点灯式となった。残念ながら、周囲の明るさのせいで、ハートフレームの光はよく見えなかったが、ホワイトグレーに「お色直し」をした作品は、神田明神境内で、新たな時の“Go-round”へと、無事に出帆した。以下、奉納式での権宮司様ご挨拶の言葉からの引用である。
「その(制作・奉納に携わられたみな様の)真心とともに、この素晴らしい作品が、末永く多くの人から愛される作品となり、そして、多くの人々の祈りを、神様へ通じるその仲取り持ちとしての役割を、これから果たしていただくべく、ご活躍をいただきたいと思っております。」
今回の奉納の意義は、まさに、この言葉の中にあるのではないか、と、私は感じた。そして、新たな光が灯ったその瞬間は、アーティスト志喜屋徹氏が、西洋的な文脈の「バレンタインデー」と「♥」を、日本伝統の文脈にのっとった表現に重ねて誕生させた現代アートが、そのモチーフとなった「結ぶ」表現の「素」の姿に原点回帰し、地域社会と、末永く“engaged(エンゲイジド)”した瞬間でもあった。

左)社殿内で行われた奉納式の様子。神職から玉串を授かる奉賛代表者三名。手前より、工藤代表理事、志喜屋氏、新井。右)ハートフレーム前で行われたお祓いの義の様子。

左)社殿内で行われた奉納式の様子。神職から玉串を授かる奉賛代表者三名。手前より、工藤代表理事、志喜屋氏、新井。右)ハートフレーム前で行われたお祓いの義の様子。

奉納式翌日の「ハートフレーム」。既に、おみくじや絵馬が結ばれはじめている。

奉納式翌日の「ハートフレーム」。既に、おみくじや絵馬が結ばれはじめている。


「おみくじ結び」におみくじを結ぶ参拝客。 日本伝統の習慣。

「おみくじ結び」におみくじを結ぶ参拝客。
日本伝統の習慣。

■「奉納」への道筋 3つの「思い」のエピソード
奉納から早くも1ヶ月が過ぎ、紫陽花の咲く季節となった。「ハートフレーム」は、まるで以前からその場にあったかのように、自然に境内の風景に馴染んで、既に沢山のおみくじや絵馬が結ばれている。
何故、このように、初めから、最後に収まるべき「場」が用意されていたかのような「流れ」になったのか、今もって、とても不思議に感じるのだが、このような「流れ」と「結果」が生まれたバックグラウンドには、三つの柱となる「思い」のエピソードがあった、と、今振り返ってみて思えるのだ。その3つについて、ご紹介したい。

奉納式から約2週間後の様子。既に、おみくじでいっぱいである。奉賛者銘板の取り付けも完了。

奉納式から約2週間後の様子。既に、おみくじでいっぱいである。奉賛者銘板の取り付けも完了。

【思いを形にする。】
『参加者が、「思い思い」をメッセージに書いて、参加していく形にしました。みんな表現者なんですね。思いを形にする、表現することで、自分を理解することもできると思うし、人に伝わっていく。思いが形になる世界になると良いなと思いました。』(プロジェクト記録ムービー撮影時の、志喜屋徹氏へのインタヴュートークからの引用。以下、『』内テキストは、インタヴュートークより。)
 時を、2015年1月に遡る。
NPO法人アート&ソサイエティ研究センターの工藤安代代表理事は、今回のプロジェクトが、バレンタインデーからホワイトデー期間の販促催事にからめて行われる、という特性から、『「大切な人への想い」を表せるようなアートを仕掛けたい』、と、考えていた。そこで、相談を持ちかけたのが、2012年の公開空地プロジェクト「ニコニコ来来ドーム」で黄色いビニール傘を素材に、参加型作品を制作したアーティスト、志喜屋徹氏であった。志喜屋氏は、私たちの暮らしのごく身近にある、もともと消費され廃棄される運命のもとに生まれてきた(生産・製造された)モノたちに、普遍的なアートの命を注ぐ、という、言わば、「モノの価値概念」の位相転換を生み出す作風を得意としているアーティストで、大手広告代理店のアートディレクターという顔を持つ。彼が創案したプランは、
1)世界中で、国や文化を超えて親しまれている「愛(Love)」を表すシンボル「♥(ハート)」を、ビジュアルシンボルにする。
2)トランプの「♥」のカードを、願い事を書く「短冊」や「絵馬」に見立て、そこに、参加者(来街者)各々が「愛」を言葉にして書く。(愛のメッセージを集める)
3)言葉として、可視化された「愛」や「想い」を「結ぶ」「場」を広場空間につくる。
4)「光」を、メッセージ性のある感覚的なエレメントとして用いる。
5)「♥」のカードが抜かれたトランプによる造形作品を、“Heart Light Go-round(ハートライトゴーランド)”の内部と、通路空間にインスタレーションする。
という、5つのレイヤーで構成されたプランであった。日本伝統の習慣にのっとった「結ぶ」という行為によって、参加者自身が表現者となり、その表現の集積(時の経過と表現の集積性)によって作品が初めて完成する、というプランである。
かくして、工藤安代代表理事の思いに、志喜屋徹氏の思いが重なり、プロジェクトは「カタチ」を成し始めていた。その後、2月2日から3月14日の間、「公開空地プロジェクト2015」がどのように推移したか、については、本サイトで公開されているダイジェストムービーを、是非、ご参考いただきたい。

shikiya

メッセージ

ハートカード

【「思い」プラスちょっとの行動。】
 私は、今回のプロジェクトに、「五感演出プロデュース」という役どころで参加させていただいた。プロジェクトの制作ディレクションと、ハートフレームの製作、光・音の演出プロデュースである。今までに何度か、他の企画でプロジェクトを共にしている志喜屋徹氏から相談を受けたのが、今年の年明け早々。プロジェクトのオープン予定日まで、既に1ヶ月を切っていた!1月6日に初打ち合わせをし、その後1月31日、2月1日の設置とオープン後の調整に至る怒涛の日々は、今思うと懐かしくさえ感じられるが、そんなミラクルを実現させたのも、「思いの結集」と「行動」であったことは間違いない。ライティングプログラムを担当したLighting Roots Factory代表、松本大輔氏の言葉である。『「思い」プラスちょっとの行動が、物凄いものを作っていくんだな、ということを実感できる41日間でした。』

「記憶の中で、いつかふと目覚めるような感覚風景」をつくることを目指して、音とシンクロするように回り続けた光跡は、3月14日の夜、11時に消えた。いつか、誰かの記憶の中で、再び回りだすことを夢見て。そして、プロジェクトの第一章は、約1500ものメッセージカード(♥のトランプ)を集め、惜しまれながら終了した。サイトスペシフィックなアートインスタレーションに、参加者・来街者の「愛」と「想い」のメッセージと、光・音という「タイムフレーム」を乗せて、プロジェクトは、ハートフルな「時空間芸術」へと昇華した。

左)2月2日~2月14日、バレンタインデー期間の、赤い色光によるライティング。フレーム内部のオブジェの光は、心臓(Heart)の鼓動のように、ゆっくりと明滅する。ハート型フレームのライン状の光は、4つの「♥」のアウトラインにより構成され、全期間を通じて、「♥」が、1ライン点灯(ひとつの「♥」ラインが光る)、チェイス(ひとつの「♥」ラインが回転するように光る)、全点灯明滅(4つの「♥」ラインが全体で光り、ゆっくり明滅する)という発光パターンの組み合わせで、「シーン」が演出された。 右)2月15日~3月14日、ホワイトデー期間の、青と赤の色光によるライティング。ハート型フレームのライン状の光は、特殊な樹脂製導光棒に、LEDライトの光を当て、「面発光」の光のラインを作り出している。また、プロジェクト期間中、公開空地の作品周辺、および、「お茶の水サンクレール」の通路エリアには、作曲家、高木潤氏によるオリジナルの音楽が流れ、「光と音が響き合う環境」がつくられた。

左)2月2日~2月14日、バレンタインデー期間の、赤い色光によるライティング。フレーム内部のオブジェの光は、心臓(Heart)の鼓動のように、ゆっくりと明滅する。ハート型フレームのライン状の光は、4つの「♥」のアウトラインにより構成され、全期間を通じて、「♥」が、1ライン点灯(ひとつの「♥」ラインが光る)、チェイス(ひとつの「♥」ラインが回転するように光る)、全点灯明滅(4つの「♥」ラインが全体で光り、ゆっくり明滅する)という発光パターンの組み合わせで、「シーン」が演出された。
右)2月15日~3月14日、ホワイトデー期間の、青と赤の色光によるライティング。ハート型フレームのライン状の光は、特殊な樹脂製導光棒に、LEDライトの光を当て、「面発光」の光のラインを作り出している。また、プロジェクト期間中、公開空地の作品周辺、および、「お茶の水サンクレール」の通路エリアには、作曲家、高木潤氏によるオリジナルの音楽が流れ、「光と音が響き合う環境」がつくられた。

左) ハート型フレームに取り付けられた、音が鳴る仕掛け(「音具」)。幼児用玩具「ガラガラ」を素材に用い、風が吹いたり、フレームが揺れると、どこか懐かしい印象の音が聞こえてくる。右) 通路空間に展示された作品「光を求めてⅡ」の前で、色光による影の出具合を確認する志喜屋氏。

左) ハート型フレームに取り付けられた、音が鳴る仕掛け(「音具」)。幼児用玩具「ガラガラ」を素材に用い、風が吹いたり、フレームが揺れると、どこか懐かしい印象の音が聞こえてくる。右) 通路空間に展示された作品「光を求めてⅡ」の前で、色光による影の出具合を確認する志喜屋氏。

【「思い」を重ね、未来へ、結ぶ。】
『この(公開空地)プロジェクトの大きな特色というのは、その場所で一度終了しても、また違う場所に移って、形を少し変えて、生き続ける、ということだと思います。…(中略)…クリエーターの方たちの熱い思いが重なり、このプロジェクトは、最初のシナリオ通りではなく、良い意味で、育っていったのではないか、…』(工藤代表理事)
 テンポラリーな公開空地プロジェクトの中で生まれた「思い」をパーマネントに「生き続けさせたい!」そんな純粋な思いと願いが重なり、“Heart Light Go-round(ハートライトゴーランド)”の「永住の地」探しが始まった。その第一目標は、神田明神。工藤代表理事は、お茶の水茗溪商店街会長をはじめ、公開空地プロジェクトでのご縁をたどり、交渉に奔走した。「お茶の水サンクレール」では、3月14日の終了から5月18日早朝の移設当日まで、約2ヶ月間、地下駐車場で作品を保管していただいた。
シナリオにはなかった「奉納」というエンドストーリーは、制作者の思いと、プロジェクトを支えてくださった方々の思いが重なり、強い願いとなって、神田明神に通じた。まさに「結ばれた」結果なのだ。どこか、恋愛、そして結婚へのプロセスに似ている、と思うのは、私だけだろうか?「奉納式」は、今回のプロジェクトで生まれた現代アート作品と地域社会との「結婚式」だったのではないか。今、振り返ってみて、そんな風に感じるのである。

プロジェクト終了後、回収され、NPO法人アート&ソサイエティ研究センターにて一時保管されたトランプのメッセージカード。約1500枚ものメッセージが集まった。

プロジェクト終了後、回収され、NPO法人アート&ソサイエティ研究センターにて一時保管されたトランプのメッセージカード。約1500枚ものメッセージが集まった。

聖橋から神田方面を望む。目には見えない、耳には聞こえない多くの「愛」と「思い」のメッセージが、どれほど眠っているのだろうか。

聖橋から神田方面を望む。目には見えない、耳には聞こえない多くの「愛」と「思い」のメッセージが、どれほど眠っているのだろうか。

神田明神社殿前の提灯。伝統の灯である。

神田明神社殿前の提灯。伝統の灯である。


6月4日木曜日、先負。神田明神。プロジェクト記録ムービー撮影最終日、夜8時。
「ハートフレーム」の光は、社殿の灯や「献灯」のぼんぼりの灯を背景に、奉納用に新たにプログラムされた光(神職・巫女の装束の色をモチーフにした色光構成)をまとって、静かに佇んでいた。志喜屋氏、松本氏とおみくじを引いた。何と、志喜屋氏に続いて私も、引いたおみくじを「ハートフレーム」に結ぼうとしたら、おみくじが切れたのだ!奉納後初、しかも奉納当事者のおみくじが切れる、という縁起悪い事態に動揺したが、気を取り直してもう一度引き直し、2度目は首尾よく結ぶことができた。ちなみに、おみくじは、志喜屋氏の一度目が「末吉」、二度目が「大吉」、私の一度目が「末吉」、二度目が「小吉」で、どちらも二度目に「吉度」が上がる、という結果になった。松本氏も「末吉」だったことからすると、先んずることなく、怠らず、思いを重ねよ、ということか。

新たに灯った「ハートフレーム」の光。神田明神1300年の歴史・伝統と現代とのマリアージュである。

新たに灯った「ハートフレーム」の光。神田明神1300年の歴史・伝統と現代とのマリアージュである。


■プロジェクトを振り返って
『これだけ街ゆく人たちの心の中に、様々な「思い」、しかも、大切に思う人への「思い」や「愛」という感情があるんだな、ということを実感しました。』(工藤代表理事)

私も同感である。今まで気づかなかった、ごく「身近な愛」と、「誰かに伝えたい思い」の存在に、気づかせてくれた。そして、「ハートフレーム」は、神田明神の境内で、そのような「愛」や「思い」を「結ぶ」フレームとして、末永く親しまれる存在になった。

神田明神「ハートフレーム」の基調色光:白。(朱赤と対を成す) 神職・巫女装束の基本色。(ベーシックであり、かつ、高位の色)

神田明神「ハートフレーム」の基調色光:白。(朱赤と対を成す)
神職・巫女装束の基本色。(ベーシックであり、かつ、高位の色)


このレポートを終えるにあたって、プロジェクトの企画段階から奉納に至る全てのプロセスにおいて、「アーティスト」、あるいは、「クリエーター」という立場で関わった私たちの「思い」を、いつも真摯に受け止めてくださり、そして、そこにご自身の「思い」を重ねて、目指す目標へとナビゲートしてくださったNPO法人アート&ソサイエティ研究センター工藤安代代表理事に、この場をお借りして、心から感謝の意を表したい。

(文:新井敦夫)

新井敦夫(Atsuo Arai)
五感演出プロデューサー。1960年、東京生まれ。音環境デザインのプランナー・プロデューサーを経て、音、光、香り等、五感の相乗効果を活かした環境演出・デザインや、東関東大震災復興応援のためのソーシャルアートの企画・プロデュース、自然エネルギーとアートでつくるイルミネーションの企画制作、等に取り組んでいる。東京メトロ南北線「発車サイン音」のデザイン・ディレクション、高松シンボルタワー「時報」、および、「風のサヌカイトフォン」(讃岐地方に産出する『サヌカイト』という石を用いた音と造形のパブリックアート)の企画・プロデュース等、実績多数。
「シネステティック・デザイン(五感にひびき『感覚の味わい』を生み出すアート&デザイン)」をテーマにした研究・創造活動組織「SORA Synesthetic Design Studio(SORA SDS)」代表。
https://ja-jp.facebook.com/SORA.SDS

| |

シンガポールのアート事情
ー独立50年の国家の現代アートと伝統文化ー

 東南アジアで1、2を争う大都市、シンガポール。穏やかな気候、おいしい食べ物、屋台、豊かな自然、活気溢れるビジネス街、そして民族を超えて肩を抱き合い笑う様子…気がつくとあっという間にシンガポールの虜になってしまった。特にシンガポールの文化は魅惑的に映る。それはきっと各民族が互いの文化を否定せず尊重し合う社会で築かれたシンガポールならではの文化の融合に魅力が沢山あるからだ。近年は気候がホットなだけではなく、「東南アジアの芸術文化のハブになる」という国策の下、アート界も非常にホットになりつつある。今回はそんなシンガポールのアート事情を語るべくシンガポール・ビエンナーレと伝統文化であるプラナカン文化の紹介をしたい。

 私が注目した2年ごとに開催されるシンガポール・ビエンナーレは2006年から始まり、現代アート、とりわけ東南アジア現代アートを中心として展示し、国際的なプラットフォームとなるように企画される。国内外のアーティストの作品を数多く展示しながら、その背景にある複雑な文化的要素をアート関係者だけでなく市民一般にも分かりやすく伝え、市民のアートや文化に対する理解を促す狙いだ。それは2013年のビエンナーレを通して踏襲されており、27人のキュレーターたちがアーティストと協力して展覧会を企画・運営・展示する様子は、東南アジア地域の美術の垣根を低くしている。

Singapore Art Museum

Singapore Art Museum


 例えば来館者の参加が重要なカギとなる作品がある。その一つのLittle Soap Boy(Vu Hong Ninh作、2009)は、鑑賞者が触ることができる石鹸でできた男の子の像と設置されたシンクのインスタレーションである。詳しく解説されていないが、石鹸によって浄化と清潔の両方の意味を表現し、この像は世の中を文字通り「きれい」にさせようとすると私は捉えた。東西の宗教的なイメージであるキュービッドやブッダ像はこの作品のモデルとなっている。キャプションによるとこの像は中指を立て現代社会のモラルや人間性が崩れていくことを揶揄しているが、石鹸で出来た体は皮肉にも鑑賞者が触ることによって徐々に溶かされていくのであった。(実際に触った手を洗うように右端にはシンクがあり、水が出る。)

Vu Hong Ninh, Little Soap Boy, 2009. Mixed Media, 160 x 140 x 200cm.  Collection of the Artist. Image courtesy of Singapore Art Museum.

Vu Hong Ninh, Little Soap Boy, 2009. Mixed Media, 160 x 140 x 200cm. Collection of the Artist. Image courtesy of Singapore Art Museum.

 ahmadabubakar_21他にもTelok Blangah(Ahmad Abu Bakar作、2013)では、鑑賞者が作品制作に関わったシンガポール囚人へカードを書くイベント企画が付いている。もともとこの作品は何千もの瓶でいっぱいの木船(コレックkolekという)の作品だ。それぞれの瓶にはシンガポール人の囚人たちが書いたメモが入っており、彼らは自分たちの願いや希望を自分たちの民族の言葉で書き留めている。多民族が暮らすシンガポールではメモに書かれる言葉が違う。そのため木船がそのエスニックルーツを示唆し、さらに木船に何が積まれているかも関心の的となる。鑑賞者は囚人に宛てたメッセージや質問によって繋がりを意識し、作品理解やその意味を一層深めるのだ。

Ahmad Abu Bakar, Telok Blangah, 2013, Paint, varnish, glass bottles, decals and traditional wooden boat. Approx. 300 x 450 cm.

Ahmad Abu Bakar, Telok Blangah, 2013, Paint, varnish, glass bottles, decals and traditional wooden boat. Approx. 300 x 450 cm.

 このようにして難解で崇高な芸術は、その特徴を留めておきながらも表現の仕方や展示の仕方によって鑑賞者に分かりやすく伝えられ、参加によって作品が完成したり、広がりを見せたりする。

 ところでプラナカン文化、という言葉を耳にしたことはあるだろうか。これは15世紀ごろマレー半島にやってきた主に福建省出身の中国人移民が現地のマレー人と所帯を持ち、定住し、独自の文化を構築していったことにルーツがある。

 「この土地で生まれた子」という意味のマレー語、プラナカン。彼らの話す言葉は福建語やジャワ語交じりのマレー語で、食事は一見マレー風だがマレー料理にはない豚肉や味噌を使い、西洋の料理法を取り入れたものである。オートクチュールの品々を身にまとい、渡来ものの家具で室内をあつらえる。中国文化、マレー文化、そして西欧文化の融合が「プラナカン文化」といえる。現地の人々は、男性を「ババ」、女性を「ニョニャ」と呼び、彼らを総称して「プラナカン」という。(イワサキ・丹保著、『マレー半島 美しきプラナカンの世界』より)

 シンガポールにもプラナカン文化を残す町がある。例えばKaton 地区のショップハウスがそうだ。かわいらしいパステルカラーのショップハウスは、もともと中国南部に見られた建築様式で、そこにネオゴシック調、バロック調、パラディアン調などの西洋の建築要素が取り込まれ、洋風の窓や円柱、レリーフで飾られる。その窓の上には、マレー建築に見られる透かし彫りの通風孔があることも多く、中国風の屋根瓦のひさしが付いている場合もある。街中にあるプラナカン美術館は、この可憐で美しいプラナカン文化をもっと詳しく学ぶことができる美術館だ。

Katon地区の風景

Katon地区の風景

一階部分がショップ、二階部部が居住区になっている

一階部分がショップ、二階部部が居住区になっている

パステルカラーが美しいショップハウス

パステルカラーが美しいショップハウス

店内のフードコートの様子

店内のフードコートの様子

左:スウィーツ屋さん 右:家具屋

左:スウィーツ屋さん 右:家具屋

プラナカン工芸品。ビーズで出来た室内履き

プラナカン工芸品。ビーズで出来た室内履き

 
 今年で建国50周年を迎えるシンガポール。

 シンガポリアンの友人にシンガポールの文化が好きだと言ったところシンガポールにカルチャーはあるのか、と聞き返された。多くの人は言う、シンガポールには文化がないと。それがローカルの人たちにある感覚なのだと、その時、私は肌で感じた。

 確かにこの国は(独立したばかりという意味で)若いかもしれないが、文化がないということはない。そこに人が暮らしうる限り、文化はあり伝統は受け継がれる。そして現代の我々が作る新たな芸術文化もある。まだまだ馴染みのない東南アジアの美術は遠い異国のもののように感じるが、アジア文化でつながり現代人が抱える複雑な事情で、実は私たちはつながっている。作品の意味や背景、ルーツがどう流れていっているのかを知ろうとすると、異国と捉えていた国の共通点や類似点が見つかる。東南アジア各国を身近な隣国と感じる日も近いかもしれない。今後もシンガポールを中心に東南アジアの動向を伺い、社会とアートがどう関わっていくのか関心を寄せたい。

(文:佐藤彩乃)

作品画像提供:Singapore Art Museum http://www.singaporeartmuseum.sg/
参考文献:イワサキ チエ・丹保美紀著、『私のとっておき マレー半島 美しきプラナカンの世界』、2007年6月、産業編集者センター

佐藤彩乃 (Ayano Sato)
2014年日本女子大学人間社会学部文化学科卒業。在学中、アメリカ合衆国オレゴン州オレゴン大学に交換留学。2014年 内閣府、一般財団法人 青少年国際交流推進センター主催「日本・ASEANユースリーダーズサミット」に応募し参加許可を得る。シンガポールには年に二回程行き、シンガポールの社会や文化を少しずつ学び、旅人とローカルの視点からシンガポールの良さを発見する。人とアートをつなげて社会をより良くしたいと思い、2016年秋に美術展覧会開催に向けて活動中。2014年9~11月までNPO法人アート&ソサエティ研究センターでインターンシップを経験、「リビング・アズ・フォーム(ノマディック・バージョン)ソーシャリー・エンゲイジド・アートという潮流」展覧会の運営補佐、同展覧会のパンフレット編集アシスタントをする。

| |

モントリオールにおける Socailly Engaged Art

カナダで人口第2位を誇るケベック州モントリオール市は、多くのアーティストやアーティスト志望の人達が集まる、国内でも屈指の芸術の街。市内にはアーティスト・ラン・センターと呼ばれる政府の芸術協議会から助成を受けて運営されている非営利のアートセンターが数多く存在し、近代美術館や現代アート美術館、市営の多目的文化施設・アートギャラリーのネットワークであるMaison de la culture、コマーシャルギャラリー、芸術学部のある大学や美術史を教える大学など、アートに関係した機関が充実している。

モントリオールの町並み 撮影:Gilbert Bochenek

モントリオールの町並み 撮影:Gilbert Bochenek

しかし、残念ながらこれほど芸術の盛んなモントリオールにおいても、Socially Engaged Artになるとちょっと事情が変わってくる。なぜならば「地域住民と共に行う創造活動を通して地域に根付く問題に取り組み、その問題に何らかの変化をもたらすこと」を意味するSocially Engaged Art(以下SEA)というアート実践自体が余り知られていないからだ。その原因のひとつとして「文化と社会の間の橋渡しをすること」という意味合いのCultural Mediationの単なる延長としてSEAが扱われている問題が挙げられるだろう。つまり、市民参加型のプロジェクトを皆一様にCultural Mediationとして扱うことによって、SEAがCultural Mediationの広義の中に埋もれ、実際にどのような実践なのかを広く知らしめる機会を欠いていることだ。

しかしもっと問題なのは、たとえアート関係者の中にSEAに関する知識があったとしても、これ自体を「歴とした現代アートの実践」と言うよりは、「市民活動」もしくは「社会福祉活動」に限りなく近い活動としてしか認識していない人たちが本当に多くいるということだろう。これはSEAプロジェクトの特性とも言える一過性、多様性、日常性、そして地域社会特定型と言った様々な要素と、物質性が少なく記録写真やビデオに頼りがちなSEAの作品展を、観る側に「単なる記録」としてではなく、しっかりとした「作品」だと伝わるような構成にすることの難しさなどの要素が、複雑に絡み合って起こる問題のように思える。

また、美術館のように影響力のある大きなアート機関が、アートと地域の関連性や社会の問題に取り組むプロジェクトや、その作品の発信に消極的だと言うことも、SEAの知名度の低さを助長している要因ではないだろうか。2011年にモントリオールの現代美術館、Musée d’art contemporain de Montréal で開催されたTriennale Québecoise (ケベック・トリエンナーレ)を例にとっても、40組余りの地元アーティストが参加する中で、明確にSEAと呼べなくても地域特定の問題を扱っていた作品は皆無だった。それどころか、政治的または社会的テーマを扱っていた作品すらもごく僅かで、これにはこの展示を観た欧州の一部のアーティスト達からも驚きの声が上がっていたほどだ。勿論、単にこれを企画したキュレーターと主催者側の趣向のせいだと片付ける人もいると思うが、個人的にはこの展示が現在のケベックの主流が社会とその問題との関わりを追求するような作品ではなく、比較的売買のしやすい市場型で物質主体のアートであることを象徴していたような気がした。

さて、背景の解説が大分長くなったが、モントリオールでSEAの活動に積極的な団体をここに2つ紹介したいと思う。先ずは2005年に設立されたC2S Arts et Événementという比較的新しい団体で、小学校でアーティスト・イン・レジデンスを行うプログラムと、ケベック州では初となる、要介護高齢者の長期療養施設で行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの両方を行っている。基本的には8週間のレジデンス期間中に現場職員の手助けを受けながらアーティストが主導する形で多種多様な参加型プロジェクトが実施される。

2011年冬に地元モントリオールのアーティストChristine BraultがCHSLD Providence Notre-Dame de  Lourdes で行ったアーティスト・イン・レジデンスの様子。色々なワークショップの中でBraultのつくった 様々なお手本を参加者達がマネをするという形で制作が進められた。撮影:Serge Marchetta

2011年冬に地元モントリオールのアーティストChristine BraultがCHSLD Providence Notre-Dame de
Lourdes で行ったアーティスト・イン・レジデンスの様子。色々なワークショップの中でBraultのつくった
様々なお手本を参加者達がマネをするという形で制作が進められた。撮影:Serge Marchetta

レジデンス後は最寄りのMaison de la cultureで結果を発表する機会も与えられるため、オープニングにはプロジェクトの参加者やその家族が多く訪れる。このC2Sの設立者の一人であるSerge Marchetta氏によると、普段ギャラリーに足を運ぶ機会の無い参加者たちの多くが、自分の関わった作品が現代アートギャラリーで展示されることに喜びと誇りを感じていると言う。中にはこれを機に自発的に作品をつくるようになった参加者もいて、80歳にして個展を開きアーティストデビューした高齢者もいるそうだ。

2012年5月にMaison de la culture Maisonneuve で開かれたレジデンスの結果発表展示「Fil de vies...  passages」の様子。プロジェクトに参加した高齢者とChristine Braultによるパフォーマンスも行われた。 撮影:Éric Cimon

2012年5月にMaison de la culture Maisonneuve で開かれたレジデンスの結果発表展示「Fil de vies…
passages」の様子。プロジェクトに参加した高齢者とChristine Braultによるパフォーマンスも行われた。
撮影:Éric Cimon

もう一つ紹介したいのが2001年に設立されたEngrenage Noire/Rouage。社会活動に積極的な地域団体とそのメンバー、そしてアーティストの3つのグループによる長期コラボレーション型のプロジェクトを募り、選ばれたプロジェクトに助成金を出している積極行動主義色の強い独立民間アート機関だ。応募の条件として、「様々な社会問題の解決やその問題に対する市民の意識を変えると言う目的が明確なプロジェクトであること」そして、3つのグループが始めから同等の立場でプロジェクトを立ち上げ、全ての進行を全員の総意に基づいて決めていく、「完全な共同制作プロジェクトであること」などを挙げている。運良く選ばれたあかつきには、3つのグループが全員参加する必修の講習会が2日間にわたって開かれ、共同制作中に起こりうる色々な問題やそれらをどう解決していくか等を学ぶことになる。プロジェクトが行われる約1年の期間中、この3つのグループの全員が参加する話し合いの席が月に一度設けられ、進行状況や問題点等が話し合われる。これらの過程を経て、公共の場で社会活動的パフォーマンス等を計画していく。

2014年5月に開かれたワークショップの様子。撮影:Johanne Chagnon

2014年5月に開かれたワークショップの様子。撮影:Johanne Chagnon

ComitéŽ d’éŽducation aux adultes de la Petite-Bourgogne et de Saint-Henri (CÉDA) と言う成人教育を手助けす る地域団体の「識字プロジェクト」の一環として行われた、字の読み書きの出来ない大人に社会でもっと発言す る場をつくり、市民の理解を深めてもらおうと言う試み (2012-2013)。 撮影:CÉDA – secteur alphabétisation populaire

ComitéŽ d’éŽducation aux adultes de la Petite-Bourgogne et de Saint-Henri (CÉDA) と言う成人教育を手助けす
る地域団体の「識字プロジェクト」の一環として行われた。字の読み書きの出来ない大人に社会でもっと発言す
る場をつくり、市民の理解を深めてもらおうと言う試み (2012-2013)。
撮影:CÉDA – secteur alphabétisation populaire


Le Collectif Au pied du murというアーティスト・コレクティブとLe Carrefour d’éducation populaire de Pointe-Saint-Charles という市民団体によるPointe-Saint-Charles 地域再生のための巨大壁画プロジェクト(2012-2013)。 全長80メートルにも及ぶ壁に絵を描いた。撮影:Sandra Lesage(左)、le Collectif Au pied du mur(右)

Le Collectif Au pied du murというアーティスト・コレクティブとLe Carrefour d’éducation populaire de Pointe-Saint-Charles という市民団体によるPointe-Saint-Charles 地域再生のための巨大壁画プロジェクト(2012-2013)。全長80メートルにも及ぶ壁に絵を描いた。撮影:Sandra Lesage(左)、le Collectif Au pied du mur(右)

ここに紹介した団体のようにSEAの活動を行っている団体は幾つかあるものの、現在の状況を見るかぎり、決してモントリオールでSEAに追い風が吹いているとは言い難い。この町でSEAがこれからもっと広く受け入れられ、発達・発展していく為には、これを実践している若手のアーティスト達がもっと積極的に活動の場を広げ、道を切り開いて行かなければならないのは確かだ。

(文:畑山理沙)

畑山理沙(Risa Hatayama)
1997年にカナダに渡り、カルガリーのSouthern Alberta Institute of Technologyで映画制作を学ぶ。2002年にモントリオールに移り Concordia Universityで写真を専攻。2005年の大学卒業後から本格的に画像ベースのインスタレーション制作を中心にアーティスト活動を始める。しかし実祖父の長期にわたる闘病生活がきっかけで2009年頃から高齢化社会におけるアートとアーティストの役割について考え始めるようになり、以降、老いをテーマにした作品や高齢者参加型のプロジェクトを制作し始める。2014年夏にUniversité du Québec à Montréalで Socially Engaged Artと高齢者をテーマにした研究論文・制作で修士を取得。2014年秋にはC2S Arts et Événement の高齢者施設でのレジデンスに参加予定。

| |

Emscher Kunst (エムシャー・アート)
再生を体感し議論する場としてのアート・イベント

現在のエムシャー川流域 (ガスタンク屋上より)

現在のエムシャー川流域 (ガスタンク屋上より)


 ドイツ、ルール工業地帯の再生は、ポスト工業時代の新たな生活の場や質を求めて、社会全体の構造転換をめざす世界最大規模の地域再生プロジェクトであり、同様の課題をもつ世界中の注目を集めてきた。
 なかでも急激に衰退し深刻な環境問題が残された北部のエムシャー川流域が、ここ20年あまりで先進的な文化の中心へと変革され大きな関心を集めている。それは閉鎖された産業遺構を貴重な地域資源として評価、保存し、新たなアートを生み出す場や創造産業などのための場として活用し、ネットワークして芸術文化活動の一大拠点を形成しようとする戦略によるものだ。現在、産業遺産群と、地域にインスパイアーされた新たなアート作品群は、サイクリングロードや遊歩道で結ばれ、一帯は広大なグリーンベルトへと変身している。その長さ80キロ、幅15キロに及ぶ「エムシャー・パーク」を舞台にEmscher Kunst 2013や多彩な文化イベントが開催された。ひとびとは自転車で多くの文化施設や点在するアートワークをまわり、自然や社会の環境がダイナミックに変化しつつあることを体感し、そのプロセスにアートがどのように介入しているのかを直に見つめることになる。この機会に筆者も40km近いツーリングにチャレンジしてアートとアスレティックの両方を体験してきた(汗)。

ルール工業地帯 ヒストリーと新たなゴール

工業時代のエムシャー地帯 (ガスタンクが見える)

工業時代のエムシャー地帯 (ガスタンクが見える)


 かつて世界最大の石炭、鉄鋼業が集積し、ドイツの重工業と戦後の復興を支えたルール工業地帯は1970年代には急激な衰退がはじまり、人口流出と深刻な不況に苦しむことになった。残されたのは石炭採掘によって露出した大地、石炭と鉄くずが山と積まれたボタ山、カドミウム汚染のためオレンジ色になってしまった川など自然環境への壊滅的な影響と、煤けたイメージの閉鎖された工場と多数の失業者だった。この地域を再びひとびとが豊かに住むことができる場所へ、どうしたら再生できるのか?1980年代後半より、ポスト工業時代における環境再生の壮大な実験プロジェクトがはじまった。
 それは単なる自然再生のプロジェクトではない。社会、産業、都市環境、文化を含む総合的な再生と持続可能なモデルが追求されたのだ。最も重視されたのは一度失った地域の誇りと文化的アイディンティティを取り戻すというゴール。そのためには生態系や経済の基盤が整っているのは当然であるが、地域に根付く固有性とともに新たな文化、芸術のファクターもなければひとびとからの支持も得られない、それを住民とともに実現するというチャレンジングなプロセスとなった。

IBA Emscher Park そのアプローチと成果

 この実現のために導入されたのが「国際建築展覧会(Internationale Bauaustellung Emscher Park、以下IBA)」である。これは、1989-99年の10年期限で、ノルドライン=ヴェストファーレン州が主導して、エムシャー川流域(対象地域は面積約800平方キロ、17の地方自治体の総人口200万人)の各自治体と協働する有限会社形式の民間組織である。この組織名としては聞き慣れない「国際建築展覧会」は、ドイツでは(ヨーロッパの一部でも)伝統的に記念性の高い建設事業や街路の整備のために国際建築コンペを通じて超一流のプランを実現してきた手法であるが、エムシャー川流域ではその任務が環境再生全般を担うまで拡大され組織化されたのである。
 IBAは地域内の緑地と水系の保存と回復、再生、雇用の拡大、住環境という基盤整備に加え、質の高い文化的ストックを形成するために地域に既にある資源=工業時代の記憶である産業遺構の蘇生と新たな創造活動の創出という困難な課題に立ち向った。短期的には破壊した方が経済的な巨大な工場を、文化不毛の時代の遺物として否定するのではなく、長期的な戦略により創造性を刺激する空間へとコンバートし、21世紀型の産業への移行をめざすこと。それは工業時代の軌跡、記憶をポジティブに再評価し、再ブランド化する道のりでもある。しかも、工場の保存や環境改善のプランはIBAによって住民に逐次情報共有され議論を深めるプロセスとなってきたという。

 このIBAの成果は、2001年エッセン市の関税同盟(ツォルフェライン、Zoll Verein)

現在の関税同盟(Zoll Verein)エッセン市

現在の関税同盟(Zoll Verein)エッセン市

がそのバウハウス時代の粋を集めた立て坑施設群によってユネスコ世界文化遺産に登録され、現在では1000人以上が働くデザイン系、エンターテインメント系ビジネスの一大集積地となっている。エムシャー域内の他の各自治体でも産業遺産の保存に関しては賛否両論の議論を続けられたが、各自分たちの地域のランドマークを競って保存しようとする機運が盛り上がり、ゲルゼンキルヒェン製鉄所跡地、ノルデンステンパーク、ディイスブルグ北景観公園、オーバーハウゼンのガソメーター、ハンザ同盟、ボーフム、ヤールフンダートハレなどの多くの産業遺産が次々とオルタナティヴな文化、デザイン施設として改修され、地域全体としてのシナジー効果を生み出し、交流人口は以前より3割増となっているという。
 2000年代初めより、多くの都市がクリエイティブ・シティのコンセプトを追求し、目玉としての新規文化施設を建設したが、長期的にみてうまくいっている事例は少ない。一方で、エムシャーパークのように既存の地域資源を活かす手法はヨーロッパにおける産業遺産活用のモデルとして各地の環境再生やまちづくりに多大な影響を与えてきた。日本でも元炭鉱のまちが疲弊した事例は数限りない。建築の素材、環境条件などでこの手法をそのまま参考にはできないが、より積極的な保存や明確な意図をもった活用が検討できないだろうか。
 1999年のIBA 終了後、この事業はプロジェクト・ルール会社に引き継がれ、ルール自治体連合との連係で、土壌や水質などの環境的課題や新旧住民間のギャップなどの社会的課題などに対するチャレンジが2020年まで継続される予定である。

Emscher Kunst 2013 建設の場から議論の場へ

 これらエムシャー・パークでの取り組みが中心に評価され、2010年にはルール地方が欧州文化首都に選ばれ、一年間にわたり産業遺産や周辺の公園、河川流域を使った多くの文化イベント「ルール2010」が繰り広げられた。そのスローガンは「文化による変革 変革による文化(Change through Culture – Culture through Change)」。これはIBAによる再生事業以来一貫したテーマである。それは、「文化によって地域に変革をもたらすこと、同時にその変化のプロセスとともに文化自体にも革新をもたらす」という意味であり、そのイノヴェーションが蓄積されてゆくというポジティブなサイクルともとらえられるだろう。
 実際に1990年代初頭から展開されてきたアートのアプローチはエムシャー川流域の再生とともに変化し深化してきた。1989-99年のIBA時代は産業遺産の保存を含めたハード中心に整備された時代であり、アートも工業時代を記念し場所性を象徴するモニュメンタルな、いわゆる「ランドマーク・アート」を設置することが主流だった。例えば、展望スペースとして保存されたぼた山にモニュメンタルな作品(Richard Serra Bramme for the Ruhr District, Essen,1998やHerman Prigann Stairway to Heaven, Reinelbe Mining, Gelsenkirchen, 1999)を設置したり、展望台そのものとして最も有名なランドマーク作品(建築家Wolfgang Christ, Tetraeder, Bottrop, 1995や工場跡のためのライティングアートを設置するなど、広大なランドスケープに工業時代の人跡、マーク、サインをつけるようなアプローチが主流だった。

Richard Serra Bramme for the Ruhr District, Essen,1998

Richard Serra Bramme for the Ruhr District, Essen,1998

Wolfgang Christ, Tetraeder, Bottrop, 1995

Wolfgang Christ, Tetraeder, Bottrop, 1995


 これに対して、「ルール2010」における取り組みはハードからソフトへ、建設の場から議論の場へと変化してきた。その中心的なイベント「Emscher Kunst(エムシャー・アート)」のキュレーター、Florian Matznerはその目的について、「明確な目的のない一貫性のない、単なる野外のアート展ではない。環境を考える議論の場、未来のためのワークショップ、ルール地域北部の新たなアイディア、考え方、新しい見方が生み出される場所、地域のため、地域とともに実現し議論する場」をめざしでいると語っている。なんでもありのアートのお祭りではない、現実にダイナミックな再生事業が起こっている地域で身近なエコロジーや社会の課題を問いかけ議論の場とするイベントだということだ。この明確な意図をもったポストIBAのアプローチは、各地で数多くのビエンナーレ、トリエンナーレが開催され、アート活動がますます社会や地域との関わりを深めている現在の潮流のなかで、特筆すべきものだろう。
 初回のEmscher Kunst 2010のメイン会場はエムシャー・アイランド (エムシャー川の中洲)に限定され、川俣正の8人の作家によるプロジェクトが展開され、工業時代の強烈な風景や建築をつなぐ新たなランドスケープを提案することがテーマとされた。
 2013年にはゲルゼンキルヘンからオーバーハウゼン、デュイスブルグ、ディンスラーケンにいたるエムシャー川流域を結ぶ80kmにわたるサイクリングロード沿いに2010年からの継続プロジェクトも含めて30人(組)のアーティストによるプロジェクトが展開された。(主催:Urbane Kunsts Ruhr及びEmschergenossenschaft、会期:6/6-10/6/2013、部分的にパーマネント作品となる)

Emscher Kunst 2013 作品のなかから

Ai Weiwei Out of Enlightment
自身がデザインしたテントを貸し出し、ビジターがエムシャーパーク内で自由にキャンプできる、生活をしてみる作品で、地域住民や来場者が身近なランドスケープにかかわるというヒューマン・スケールの体験をうながす参加型のアプローチである。この地域が工場跡地ではなく、普通に生活して、仕事をして、余暇を楽しみ、リラックスし、遊ぶ場所になるという、これまでのコンテキストやマインドを変化させようとしている。

Ai Weiwei  Out of Enlightment 2013

Ai Weiwei Out of Enlightment 2013

Mark Dion Society of Amateur Ornithologists (アマチュア・バード・ウォッチング協会)
発電所からの煙が立ち上る風景をバックにバード・ウォッチングのための施設を設置した作品。工業用のガスタンクを活用した巨大パイプ、潜水艇のような形をしており、形側面と屋上には観察のための窓や展望台がある。そして中にはいってみるとそこには外形とは全く違う空間、バード・ウォッチング愛好家の古めかしい部屋が再現されている。身近な環境の変化を監視、観察しつつ、歴史的な環境の変遷に想いを馳せる作品。(2010年よりサイトを移動して継続)

Mark Dion  Society of Amateur Ornithologists  2010- Photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST.

Mark Dion  Society of Amateur Ornithologists 2010-
Photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST.

Marjectica Potrc & Ooze Architect Between the Waters The Emscher Community
カドミウムの汚染がまだ完全に除去されないエムシャー川から水を引き植物の浄化作用でリサイクル可能な水にする、浄化装置をカラフルに視覚化した作品。学生ボランティアによるオペレーションで実際にリサイクルされた水を使ったトイレにもなっており、ツーリング途中の休憩所ともなっている。(2010年より継続)

Marjectica Potrc & Ooze Architect  Between the Waters  The Emscher Community 2010-

Marjectica Potrc & Ooze Architect Between the Waters The Emscher Community 2010-

Tue Greenfort Clarification
高度浄水の管理施設に水問題について議論するための場所をつくった作品、中には水についての情報交換と会議室、実験施設、ビデオのコーナーなどがあり、アーティストや専門の大学生が白衣姿でシリアスに実験したり、ミーティング、ワークショップをおこない実際の議論の場となった。

Tue Greenfort Clarification  photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013

Tue Greenfort Clarification  photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013

Inges Idee Zauberlehrling (魔法使いの弟子)

Inges Idee Zauberlehrling 2013-

Inges Idee Zauberlehrling 2013-

ぐにゃりと曲がり、ダンスを踊っているようにして立つ、送電塔(実際の電気は通っていない)。
オーバーハウゼンのビジターセンター   photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013

オーバーハウゼンのビジターセンター photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013

タイトルはゲーテのバラードによる≪魔法使いの弟子≫、見習い中の弟子が魔法のコントロールを失い、修羅場となるお話。ユーモア溢れるフォルムに思わずニヤリとするが、実は原発のコントロール不能を象徴するこわい作品ともいわれている。
 このほかにもビジターセンターは地域環境に関する情報提供、参加型のコミュニケーションをうながすワークショップや議論の場、周辺大学の環境系の学生による教育プログラムの場となっている。

Chiristo Big Air Package

Chiristo Big Air Package  ガスタンクの外観

Chiristo  Big Air Package ガスタンクの外観

Chiristo  Big Air Package  ガスタンクの内部と布製作品

Chiristo  Big Air Package  ガスタンクの内部と布製作品

このプロジェクトはEmscher Kunstには直接含まれていないが、関連のアート・イベントとして開催され、大人気となったもの(会期:3/16-12/30/2014)。1928/29年に建造され、オーバーハウゼン市で保存活用されている旧ガソメーター(ガスタンク)のためのプロジェクト。約35階建にもなる建物内部にタンクと同じ形の巨大な布製風船を設置、人はその中に入ることができる。
Big Air Package  作品内部の鑑賞者たち

Big Air Package  作品内部の鑑賞者たち

その空間は高さ90メートルのカテドラル内部のようで同心円の光の束に包まれているようだ。日常の音から遮断され、光と静寂に包まれた空間のなかで、立ちすくんだり寝そべったりしつつガスタンクだった空間のなかで思いっきり呼吸できるという不思議な感覚に包まれる。最後に、外側のエレベーターでガスタンクの屋上にのぼり、旧ガソメーター周辺やエムシャー川流域をはるかに見渡すことができる。そこにあるのはブラウンフィールドから劇的に変化した緑豊かな風景、青い空とさわやかな空気なのだ。ガスタンクで空気を包むというユニークな形で、産業遺産が新たなアートや意味を生み出すサイクルの基点となっていること、そして周辺環境の変化を体感し対話する場となることを感じさせてくれる。

 これらの作品はエコロジーや環境問題に対して明確な意識を持ちつつ、決して押しつけがましい非難やお説教がましいポーズをとっていない。むしろ心をくすぐるようなユーモアと日常的なルーティンをチクッと突っつくような態度である。まずは身近に見て感じること、課題に気づき見える化すること。そんなアーティストの問いかけから環境変化についての議論が自然とオープンなものになるようだ。しかも、鑑賞者は自転車というエコな人力移動を通してエムシャー川流域の再生をゆっくりと体感し、地域やその資源、遺産を眺めつつ、アートと対面し対話することができる。このすべての体験がさわやかな達成感とともに記憶の深く刻まれ、アートによる議論が拡がってゆくことだろう。
 このEmscher Kunstはトリエンナーレ形式で、エムシャー川流域の再生計画が完了する2020年まで続く予定であり、このオープンエンドな自由な議論がどのように続けられるのか、そして文化による今後の取り組みがどのように成長してゆくのか、期待をもって見守ってゆきたい。

Emscher Kunst Website: http://www.emscherkunst.de/home.html?L=1
参考文献:ed. Florian Matzner, Lukas Crepaz, Karola Geiss-Netthofel, Jochen Stemplewski, Emscher Kunst 2013, HATJE CANZ, 2013

(文:Hiroko Shimizu)

| |

街を彩り、突き刺すビジュアル・パワー
南米コロンビアの首都ボゴタのストリート・アート

6月末、筆者は、芸術文化マネジメント関連の国際学会に参加するため南米コロンビアの首都、ボゴタを訪れた。コロンビアというと、麻薬マフィアや反政府ゲリラが暗躍する危険な国という印象があるかもしれない。確かにボゴタの街には、犬を連れた警官や機関銃を持った兵士、民間の警備員などが数多くいて、常に警戒態勢という感じだが、ウリベ前大統領(2002~2010在任)が治安対策に重点的に取り組んだ結果,殺人や誘拐の件数は大きく減少しているという。740万の人口を擁するラテンアメリカで6番目の大都市ボゴタ。その中心部には、活気に溢れたストリート文化があった。

①日曜日の歩行者天国。フードから雑貨、アクセサリー、本、携帯電話まで、あらゆるものが露店で売られている

①日曜日の歩行者天国。フードから雑貨、アクセサリー、本、携帯電話まで、あらゆるものが露店で売られている

 サンパウロやブエノスアイレス、サンティアゴなど、ラテンアメリカの大都市は今、ストリート・アートのメッカとして注目されている。ボゴタもその例に漏れず、「Bogotagraffiti」と画像検索してみると、色鮮やかで強烈な個性を放つ作品群が目に飛び込んでくる。幹線道路のコンクリート擁壁から街中のブロック塀やシャッター、道路標識の裏まで、あらゆる「余白」が、ストリート・アーティストたちの表現の場になっているのだ。

②幹線道路沿いのコンクリート壁には、たいていこのようなグラフィティが描かれている

②幹線道路沿いのコンクリート壁には、たいていこのようなグラフィティが描かれている

そんなボゴタのストリート・アート・シーンを見聞できる「Bogota’s Graffiti & Street ArtTour」に参加した。このツアーは、自身もクリスプ
(Crisp)の名で壁画制作をしているオーストラリア人のアーティスト、クリスチャン・ピーターセンがプライベートに週3回行っている隠れた人気企画で、トリップ・アドバイザーの「ボゴタのアクティビティ」では第3位にランクされているほどだ。ウェブサイトで参加日と名前・メールアドレスを登録し、当日集合場所に行けばよく、料金は基本無料で終了時に適当な額を寄付するという、とても気軽な3時間弱のウォーキングツアーだった(筆者は15ドル寄付)。

壁面に現れたビジュアル表現としてのストリート・アートを見るとき、ロゴや単純なキャラクターをスプレーペイントで描くグラフィティ・タイプのものと、多様な技法を使ってより絵画的に表現するミューラル(壁画)タイプのものがあることに気づく。前者はヒップ・ホップ・カルチャーと結びついた若者の自己表現として、後者はアクティビズムやコミュニティ運動と結びついた社会的メッセージ、あるいは都市環境改善の手段として、それぞれ別の発展史をたどってきている。ボゴタでは、両方の流れの影響を受け、ワイルドスタイルのグラフィティから社会問題を戯画化した作品、さらに純粋に楽しさや美を追究する絵画的ミューラルまでが併存・融合しているところに特徴がある。また、「ボゴタは世界一グラフィティに寛容な都市」とクリスチャンが言うように、市民の理解があり、警察も厳しく取り締まることがないことから、時間をかけて丁寧に描き込まれた作品が多い(それでも1作品を1 日か2日で仕上げるそうだが)。個性的なスタイルをもつ人気アーティストが何人(組)もいて、彼らの作品があちこちで見られることからも、ストリート・アートがボゴタの街を彩る重要なエレメントになっていることがわかる。

③グラフィティ・タイプのストリート・アート。MICOのサインが見えるが、地下鉄ペインティングのパイオニアとして知られる彼は、1969年にニューヨークに移住したコロンビア人である。これはMICOがコロンビアに凱旋して、地元のアーティストとコラボレートしたときのもの(“neon”は上から新しく書かれたものでMICOのライティングではない)

③グラフィティ・タイプのストリート・アート。MICOのサインが見えるが、地下鉄ペインティングのパイオニアとして知られる彼は、1969年にニューヨークに移住したコロンビア人である。これはMICOがコロンビアに凱旋して、地元のアーティストとコラボレートしたときのもの(“neon”は上から新しく書かれたものでMICOのライティングではない)

今、ボゴタで最も精力的に活動しているアーティストは、Guache(グワッシュ)、DjLu(ディージェー・ルー)、Toxicómano(トキシコマノ=麻薬中毒者)、Lesivo(レシボ=有害な)の4人だろう。ストリートに視覚的かつ政治的・社会的なインパクトを与えることを目的に、それぞれ個人で、あるいはBogota Street Artというコレクティブとして、一目で「あ、これは○○だ」とわかるメッセージ性の強い作品を描き続けている。また、作品集を自費出版したり、ストリート・アートをテーマとしたトークセッションを行うなど、ストリート文化のオピニオン・リーダーの役割も果たしているようだ。写真④から⑦は、彼ら4人が一つの壁で合作した作品である。

④格差社会を風刺しGuacheの作品

④格差社会を風刺しGuacheの作品


⑤“ボゴタのバンクシー”と言われるDjLuのステンシル。彼は、建築家・写真家で、大学で教鞭も執っている。「ストリートを単に移動の経路ではなく、今起こっている何かに気づく場にしたい」という彼の、パイナップル爆弾や機関銃をモチーフにした反戦ピクトグラムは、街の至る所でで発見できる

⑤“ボゴタのバンクシー”と言われるDjLuのステンシル。彼は、建築家・写真家で、大学で教鞭も執っている。「ストリートを単に移動の経路ではなく、今起こっている何かに気づく場にしたい」という彼の、パイナップル爆弾や機関銃をモチーフにした反戦ピクトグラムは、街の至る所でで発見できる


⑥Toxicomanoはコンシューマリズムや支配階級を批判する作品で知られている。モヒカン頭の「エディ」は、資本主義社会からのはぐれ者キャラクター

⑥Toxicomanoはコンシューマリズムや支配階級を批判する作品で知られている。モヒカン頭の「エディ」は、資本主義社会からのはぐれ者キャラクター


⑦資本主義の搾取と富裕層の退廃を風刺するLesivo。右下の王冠をかぶったキャラクターは、ウリベ前大統領のカリカチュアらしい

⑦資本主義の搾取と富裕層の退廃を風刺するLesivo。右下の王冠をかぶったキャラクターは、ウリベ前大統領のカリカチュアらしい

女性のグラフィティ・アーティストも多数活動しており、最も知られているのがBastardilla(スペイン語で“イタリック”の意)という覆面ミューラリストだ。自身の経験から、レイプ、DV、フェミニズム、貧困などをテーマに、力強い色彩とタッチで描いている。

⑧Bastardillaによる巨大なミューラル

⑧Bastardillaによる巨大なミューラル


一方、社会的なメッセージ性より、壁画としての表現を追求するタイプのアーティストもいる。Stinkfishは、街で見かけた人物のスナップ写真を用いてその顔を巧みにステンシルしている人気ミューラリスト。個人としての活動のほかに、APCというゆるやかなクルーを結成して、協働製作している場合も多い。Rodez・Nomada・Malegriaの3人は親子で活動しているアーティストだ。イラストレーター、デザイナーとして長いキャリアをもつ父のRodezは、先にグラフィティを始めていた息子のNomadaに勧められてストリート・アートの世界に入ったという。“目”が印象的な彼らの作品はボゴタのストリートでも際立っている。グラフィティ・ツアーのガイドを務めるクリスチャンの作品も市内各所にあった。人物や動物のステンシルをコラージュした壁画のほか、ストリートのアクセサリーとしてさりげなく壁に貼り付けられた小さな陶製のマスクも彼の作品である。

このようにアーティストそれぞれ作風や方向性は異なっていても「ストリート・アートは都市生活への“intervention(介入)”であり、街をを生き生きとさせるもの」という意識は皆に共通し、お互いの作品をレスペクトしているという。

⑨Stinkfishのステンシル。「グラフィティは都市を再生させる手段だ」と彼は言う

⑨Stinkfishのステンシル。「グラフィティは都市を再生させる手段だ」と彼は言う

⑩Rodezは、息子のNomadaからグラフィティのテクニックを習ったという

⑩Rodezは、息子のNomadaからグラフィティのテクニックを習ったという

⑪Nomada   ⑫Malegria

⑪Nomada ⑫Malegria

⑬グラフィティ・ツアーの案内人Crispのミューラル。彼はオーストラリアからイギリスを経て3年前にボゴタに移住

⑬グラフィティ・ツアーの案内人Crispのミューラル。彼はオーストラリアからイギリスを経て3年前にボゴタに移住


⑭右がCrispの陶製マスク。壁からはがしてお土産に持って行く人がいるので、なるべく高いところに貼るのだとか

⑭右がCrispの陶製マスク。壁からはがしてお土産に持って行く人がいるので、なるべく高いところに貼るのだとか

このように紹介するとボゴタはストリート・アート天国のように思われるかもしれない。しかし、問題がないわけではない。2年前、グラフィティを書いていた16歳の少年が、警官によって不当に射殺された事件をきっかけに、グラフィティの規制と容認に関して論議が高まっている。市当局は、歩道、バス停、信号機、病院、学校、墓地など禁止する場所を指定するとともに、ボゴタの都市文化に寄与するグラフィティは推進すべきだとして、一定の区域に限って積極的に認める方針だという。そのパイロット・プログラムとして、この夏、市の芸術振興組織が5組のアーティストを選びダウンタウンの幹線道に大規模な壁画を制作するイベントを行った。こういった試みによって、アーティストは大作に取り組むチャンスを得、市はツーリズムにもつながる良質のミューラルを得ることができる。しかし、ストリート・アートがオフィシャルなものになってしまうと、「都市環境への招かれざる介入」というグラフィティが本来持っているパワーが失われてしまうという反論もある。

ボゴタのストリート・アートは、今後、コミッションによる“パブリック・アート”としてのミューラルとゲリラ的なメッセージとしてのグラフィティに、二極化していくかもしれない。

(文/写真:秋葉美知子)

| |

市民の声でつくる世界最大のアートショー
イギリス中がアートで満たされるプロジェクト「Art Everywhere」

「2013年夏、イギリスが世界最大のアートギャラリーとなる」
この夏、街頭広告スペースを使ってイギリス中をアートで溢れさせようというプロジェクト『アート・エブリウェア(Art Everywhere)』が注目です。

Freud

Lucian Freud, Man’s Head (Self Portrait I), 1963, Whitworth Art Gallery


『アート・エブリウェア』は、市民の投票で選ばれたイギリス美術を代表する美術作品を看板ポスターに印刷して、イギリス全土の街頭広告スペースを埋め尽くそうというプロジェクトです。期間は8月10日〜25日の2週間、少なくとも15,000カ所のビルボードやバス停などの広告スペースに展示されることになります。

イノセントグループ(イギリスで大人気のスムージーブランド)の共同設立者であるリチャード・リードと、ナショナル・ファンドレイジング・チャリティーアート・ファンドテイト美術館のコラボレーションで始まったこのプロジェクトは、ポスター印刷会社と街頭広告の運営会社の協力で実施されます。

このプロジェクトの主役はイギリス中の市民の方々。ウェブサイトで公開されている候補作品のリストから、Facebookの「いいね」ボタンでお気に入りの作品に投票でき、人気トップ50位の作品が実際にポスターとなり展示されます。(7月10日に投票は終了)

また、クラウドファンディングによるサポートで「パトロン」となることもでき、3ポンド(約450円)の寄付金額が1枚のポスター作成のための資金になります。さらに15ポンド(約2,250円)以上の寄付で、英国人アーティストのロブ・アンド・ロベルタ・スミス(Rob and Roberta Smith)のエディション作品などがリターンとして送られるなど、キックスターター式の今風で親しみやすい仕組みが取り入れられています。

MCM

Michael Craig-Martin, Inhale (Yellow), 2002, Manchester Art Gallery


リードによる発案で始まったこのプロジェクトの狙いは、イギリス美術史上の傑作を分かち合える祭典とすること。そして何よりもアートが街を行き交う多くの人々の目に留まることによって、人々がギャラリーに足を運ぶきっかけになればと期待しています。

また、ロゴやエディション作品を提供し、プロジェクトを深くサポートしているロブ・アンド・ロベルタ・スミスは、プロジェクトが子供たちに良い影響を与え、美術を選択科目にしたり、美術学校にいくきっかけとなることを望んでいます。

サポートアーティストの1人、ダミアン・ハースト(Damien Hirst)も「アートはすべての人のためにあるし、みんなアートの恩恵を受けられるべきだと思っている。自分たちがストリートで見たい作品を選べるなんて、イカしたプロジェクトじゃないか」とコメント。

Constable

John Constable, Salisbury Cathedral from the Meadows, c.1831,Tate


日本でも個展が話題のフランシス・ベーコンを始め、クラシックからコンテンポラリーまで網羅した候補作品の充実さもさることながら、このプロジェクトの一番の魅力はなんといっても市民の人たちが関わるプロジェクトだということ。作品を選んだり、寄付をしたり、観賞するだけではなくて楽しくコミットできる仕組みで、市民に寄り添ったアプローチが好印象です。

思い入れのある作品やお気に入りの作品を選ぶ市民の声によって、企業の広告の代わりにアート作品を街の中に溢れさせる『アート・エブリウェア』プロジェクト。今年のイギリスの夏はきっと人々の豊かな気持ちで満たされるでしょう。

投票はこの記事の公開時点で締め切ってしまっていますが、寄付はまだまだ受付中。ウェブサイトで紹介されている寄付金額に応じたリターンは日本にも発送可能とのことなので、海の向こうにあるイギリスの街角にポスターを1枚贈る気持ちでサポートしてみてはいかがでしょうか。

(文:井出竜郎)



AE Logo

Art Everywhere
arteverywhere.org.uk

(イギリス全土で開催、2013年8月10日〜25日)



参照サイト:The Guardian “British art to take over billboards in plan to make UK world’s largest gallery”
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2013/jun/07/british-art-take-over-billboards

| |