2003年4月オープン予定の「和泉シティプラザ」に、宮島達男氏が市内の高齢者の参加により「Time Garden」を完成させた。建物の中央に穿たれたヴォイド、直径20mの竹林庭園のなかに120個のエメラルド・グリーンのデジタル・カウンターが散りばめられ、幻想的な光を放つ。竹のもつ生命感とともに、ひとつひとつの光はひとりひとりの輝く生命を点灯し続け、永遠に絶えることのない命の営みと時間の循環とを映し出す。
和泉市は大阪南部堺市に隣接し、大規模な弥生時代の遺跡や奈良時代から国府跡があり、また小栗判官にゆかりの熊野詣の道、小栗街道という伝統的な家並みが今も残る旧市街がある歴史の町。最近までのどかな田園風景が広がっていた郊外地域は、5年前の泉北高速鉄道和泉中央駅の開業に伴う急激な開発と人口の流入で、駅前のショッピングセンターと高層マンションへとその姿を一変させている。この新たに開発された駅前の拠点として建設された「シティプラザ」は、市の分庁舎、図書館、ホール、生涯学習センターなどが入る文化施設である。この建物の中央部分に合のオアシスと呼ばれるヴォイドが穿たれ、昔この地域にひろがっていたという竹林を記憶する竹の庭園が設けられた。この竹林の地面に、高齢者によって設定されたさまざまな時を刻む120個のデジタル・カウンターが配置された。
急激に開発された和泉中央駅周辺と伝統的旧市街とはまだ結びつきが薄い。新たに流入してきた人々と古くからの住民との間には同じ市民としての意識がなかなか育ちにくいのが現状である。そこで、宮島氏は自身の作品制作の過程で、長い間市内で生活してきた高齢者の記憶と時間とをこの新しい建物に吹き込み、新たな文化拠点を住民全体の対話と永遠の命を象徴するものにしたいと望んだ。「65才以上の市民120名を公募して、その方々にカウンターを一個づつ渡して、数字を刻む速さを設定していただく。皆さんの時間を共有することによって、皆さんの思いが響きあい、和泉市の市民にとって特別の作品になってくれればいいと思う。」と宮島氏は期待する。
ワークショップは、約10日間にわたり宮島氏自身が20名のサポーター(ボランティアスタッフ)とともに、和泉市内各所で実施した。場所は参加者の希望により、参加者の自宅や公民館等で行われた。周到なマニュアルに基づいて、参加者がどのカウンターのスピード調整をしたかがきちんと記録されるように準備された。サポーターにも参加者にも気持ちよく協力してもらえるような体制を整えることが、作家としての責任と認識して、その過程を非常に大切にする姿勢がよく伝わってくる。
またこのワークショップでは、和泉市についての生活や新しいシティ・プラザへの期待等、インタヴューも行われ、普段なかなか接点のない高齢者と若いサポーター世代との新たな対話が生まれた。
「シティプラザのところは昔はこわくていけないようなところだったのよ。
便利になったもんだねぇ。できたら、是非見に行きます。」
「この町は本当に暮らしやすかった。楽しい仲間に出会えてよかった。
なかなか遠くて行けないけど、遊びに行ってみなくちゃねぇ。」
宮島氏は、このようなコミュニケーションの輪がひろがってゆくプロセスが市民に共有され、作品の空間が共通の記憶の場所となることを期待している。
ところで、この竹林庭園はシティ・プラザのランドスケープを担当した千葉学・ナンシー・フィンレイのデザインで、宮島氏が作品の方向性を決定する過程には、彼らとのコラボレーションという側面もあった。実際、微妙に異なるさまざまなグリーンのデジタル・カウンターを実際に竹や地面の小石の上に並べて、長時間かけてその調和の状態をチェック、その結果その鮮やかなエメラルドグリーンの光が選ばれた。宮島氏は、1998年に「直島・家プロジェクト」で、やはり住民参加による「Sea of Time ’98」を制作しているが、ここでは水を張ったプールに3色のデジタルが浮かべられている。これらふたつの作品とも、作家のなかには作品のできあがったかたちがワークショップ以前にすでに明確にあった。しかし、ひとつひとつのカウンターを起動させ、そのリズムを刻むという、言うなれば作品に命を吹き込む行為が住民に委ねられたことになる。
「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という宮島氏のデジタル・カウンター作品によせる基本コンセプトは、作品が作家のみによってコントロールされて完結する存在であることを超えて、地域のひとびとのひとりひとりの命のリズムを刻むことによって、その意味をより現実に生きたものとして共有され、社会にひろげてゆくことになった。ひとつひとつのデジタルが、市民みんなの生命を宿したものとして響きあい、シティプラザに竹林とともに根づき、その成長をさらに続けていってくれることを期待したい。
(H・S)