SEAとは具体的にどんなものかを知りたい方は、以下をご参照ください。「リビング・アズ・フォーム(ノマディック・バージョン)」で紹介した、世界のSEAプロジェクトの事例です。
- 「プロジェクト・ロウ・ハウス」 “Project Row Houses”
- 「ホームレスのための医療バン」 “Medical Care for Homeless People”
- 「ルーフ・イズ・オン・ファイア」 “The Roof is on Fire”
- 「チョーク」 “TIZA(Lima)”
- 「中絶船プロジェクト」
- 「不平合唱団」 “Complaints Choir”
- 「子どもたちによるヘアカット」 “Haircuts by Children”
- 「廃棄物プロジェクト」 “Residuous Urbanos Sólidos (RUS) (Solid Urban Waste)”
All Photos Courtesy of ICI and CREATIVE TIME.
リック・ロウ Rick Lowe
「プロジェクト・ロウ・ハウス」 “Project Row Houses”
1993- テキサス州ヒューストン(アメリカ合衆国)
1993年、アーティストのリック・ロウは、低所得のアフリカ系アメリカ人が多く住むテキサス州ヒューストンの第3区で、打ち棄てられ、取り壊される予定だった22戸の住宅をアーティスト仲間の協力を得て買い取った。彼は何百人ものボランティアの協力を引き出して、建物の保存に乗り出した。通りの清掃から始め、ファサードの再生、古びた家の内装の修復・・・。このアクティビスト集団はだんだん大きくなり、全米芸術基金や民間財団から助成金を得て、暗く荒廃した細長い土地を、アーティスト・イン・レジデンス施設、ギャラリー、公園、商業ゾーン、庭園、若いシングル・マザーが自立するまでの一時的住居を含む、いきいきした一画に変えていった。《プロジェクト・ロウ・ハウス》と呼ばれるこの取り組みは、ソーシャリー・エンゲイジド・アートによる地域の持続的発展のモデルケースとして知られる。この活動により、ロウは2014年9月、“天才賞”と呼ばれるマッカーサー・フェローに選ばれ、625,000ドルの助成金を獲得している。
ヴォッヘンクラウズール WochenKlausur
「ホームレスのための医療バン」 “Medical Care for Homeless People”
1993- ウィーン(オーストリア)
オーストリアの人々は、国民皆保険制度のもとで医療サービスを受けている。しかし、それは住民登録に基づく非常にお役所的なシステムのため、ホームレスは対象にならない。
ウィーンを拠点とするコレクティブ、ヴォッヘンクラウズールは、いつも多くのホームレスが集まっている広場、カールスプラッツで、無料の移動クリニックを開設する計画を立てた。そのクリニックは、基本的な医療機材を備えたパンの前で診療するというものだった。バンは試作車としてデザインされ、1993年当初は、11ヵ月間のみ稼働させる予定だった。それがいまだに、ウィーン市内の公共広場を回って毎日移動しており、市からの支援を得て、月600人以上に医療サービスを提供している。
スザンヌ・レイシー Suzanne Lacy
「ルーフ・イズ・オン・ファイア」 “The Roof is on Fire”
1994 カリフォルニア州オークランド(アメリカ合衆国)
1994年のある午後、カリフォルニア州オークランドの高校生220人が、ビルの屋上駐車場に止めた100台のクルマのシートに座って、暴力、セックス、ジェンダー、家族、人種について語り合っていた。10代の若者たちが、台本など無しで率直に話す中、1,000人近い観衆(大勢のリポーターや撮影班も含まれていた)が、クルマからクルマへ歩き回り、車体にもたれかかったり、のぞき込んだりしながら、彼らの会話を聞いた。
オークランドのティーンエイジャーは、以前から、暴動、暴行や警察との衝突にからんで、ネガティブに報道されることが多かった。しかし、このイベントは、アーティスト、スザンヌ・レイシーがTEAM(Teens、Educators、Artists、Media workers)と名付けたグループとともに、若者たちが厄介者ではなく市民として登場する、プラス志向のメディア・スペクタクルとして構想したものだった。
このパフォーマンスの記録映像として制作された《ルーフ・イズ・オン・ファイア》は、多くの地方テレビ局とCNNで全米にオンエアされた。
アローラ&カルサディーラ Jennifer Allora and Guillermo Calzadilla
「チョーク」 “TIZA(Lima)”
1998-2006 リマ(ペルー)他世界各地
ジェニファー・アローラとギレルモ・カルサディーラは、長さ5フィート(1.5m)の巨大なチョークを12本を公共広場に置き、チョークのかけらを使って、地面に、落書きでも、自己表現でも、好きなやり方でメッセージを書くよう通行人に促した。こうして、チョークは、つかの間の創造を可能にする素材に変化する。
リマでは、政府ビルのすぐ前にチョークを置いたので、通行人は駆り立てられ、広場は政治家を批判するメッセージであふれる大きな黒板に変わってしまった。ついに、盾を構えヘルメットをかぶった軍の警備当局者が、チョークを没収し、扇情的な政治的意見を地面から洗い流した。
ウィメン・オン・ウェイブ Women on Waves
「中絶船プロジェクト」
2001- オランダ発世界各地
医師レベッカ・ゴンパーツ率いる「ウィメン・オン・ウェイブ」は、、女性の健康管理のための権利擁護団体で、その目的は、非合法で危険な妊娠中絶をなくし、女性の身体的、精神的自律の権利を守ることである。彼女らは、オランダ船籍の洋上クリニックを建造し、妊娠中絶が非合法とされている国に向かって航海。港から12マイル離れた公海でいかりを下ろし、オランダの法律に基づいて、乗船した女性に対して、経口妊娠中絶薬の処方や安全な中絶手術ができるようにした。
メディアはこれを知ると騒ぎ出し、激しい抗議行動を引き起こす。船がポルトガルに近づいたときは軍隊が介入し、ポーランドでは、偽の血液や卵が投げつけられた。実際、洋上での中絶手術が行われたことは一度もなく、船内でなんらかの中絶処置を受けた女性は50人に過ぎないのだが、パフォーマンス的にメッセージを発信し、メディアを巻き込んで議論を巻き起こすことで、「ウィメン・オン・ウェイブ」は社会に対して強烈な問題提起をしている。
テレルヴォ・カルレイネン&オリヴァー・コフタ=カルレイネン
Tellervo Kalleinen and Oliver Kochta-Kalleinen
「不平合唱団」 “Complaints Choir”
2005- 世界各地
フィンランドに住むアーティスト、テレルヴォ・カルレイネン&オリヴァー・コフタ=カルレイネンは、不平不満を言う人々の言葉が文字通り“不平合唱”に変わるのを聞き、2005年に《不平合唱団》プロジェクトを開始。そのプロセスはシンプルだ。まず、人々を集める。次に、良い音楽家を見つける。人々の不平不満を集めて、歌詞にし、合唱のリハーサルをした後、公開の場で披露。それをレコーディングして「Complaints Choir」ウェブサイトに投稿する。英国のバーミンガムで最初のコーラスを行って以来、この仕組みは“オープンソース”として世界中に広まり、いまでは約140の不平合唱団が活動中である(2014年2月現在)。
合唱される不平不満は、明らかに政治的なものから非常に個人的なものまでさまざまだ。しかし、カルレイネン&コフタ=カルレイネンは「私的、個人的なことはきわめて政治的でもある」という。
ママリアン・ダイビング・リフレックス Mammalian Diving Reflex
「子どもたちによるヘアカット」 “Haircuts by Children”
2006- トロント(カナダ)他
ある日、トロントのパブリックスクールの5~6学年の生徒たちが、市内各所の美容院で、無料のヘアカット・サービスを行った。彼らは、プロのスタイリストの指導で、マネキンの長い髪を使い、前髪の切り方、カーラリングの仕方、襟足の剃り方、ロングレイヤーのカット方法、ブロウドライヤーの使い方を1週間にわたって研修した後、このイベントに臨んだ。ヘアカット・サービスをする間、大人たちが見守っているものの、子どもたちは二人一組あるいはグループで、ヘアカラーを選んだり、髪の長さを決める“美的決定”を自ら行った。そしてお客は新米美容師を信頼した。
このプロジェクトは、トロントを拠点とするアート&リサーチ集団、ママリアン・ダイビング・リフレックスが企画制作し、子どもたちに、創造的な決定のできる個人としての、責任と自信を持たせると同時に、大人たちの子どもに対する見方を変えることを目的としている。
バスラマ Basurama
「廃棄物プロジェクト」 “Residuous Urbanos Sólidos (RUS) (Solid Urban Waste)”
2008- 世界各地
バスラマは、廃棄物とその再利用を考えるアーティスト、建築家、デザイナーのグループである。彼らは、コミュニティと協働で、どんなゴミをどのように取り扱い、そこからどのように世界の見方を明らかにできるかを探求している。グループの活動の中心は、実際に廃棄物を集め、それを素材に使って、パブリック・スペースを再生することだ。
彼らは2008年から、世界中の多くの都市で、この活動を《廃棄物プロジェクト》シリーズとして行っている。たとえば、リマでは、廃線となった鉄道を再生するために、地元のアーティストやコミュニティの人々を誘い、線路に沿って遊園地を作った。マイアミでは、学校の生徒の協力を得て、古い自動車部品から楽器を作った。ヨルダンのジャラシュの難民キャンプでは、パレスチナ難民とともに、子どもたちの遊び場や休養のための日陰エリアを作り、ブエノスアイレスでは、廃棄された段ボールを使って、仮設のスケート場を作った。